「語り継ぐ話」も受け手の若モンに聞く気がないから書き残すしか手はない。個人的好みとして、SNSで政治や主義めいた話はしたくないが、開戦記念日の今日にちなむことを1つだけ書く。元伊藤忠社長で中国大使も務めた丹羽 宇一郎が、こんな意味のことを書いていた。「勝者の歴史は過去から現代までで終わるが、敗者の歴史は過去から未来に繋がる敗者日本の現代史は、未来志向の歴史である。敗者の現代史を、勇気を持って学ぶべきである。二度と戦争をしてはいけない、これは敗者の歴史からしか学べないことだ」。
語り継ぐという義務感
年寄りは若い人に昔話を語り継ぐ義務がある。この季節になるとどうしても語りたくなるのが「忠臣蔵」である。かつては映画もTVも必ずこれを題材にし、大いに稼いだものである。しかし今、「忠臣蔵」のコンテンツを見ることはほとんどない。昨日、たまたま東映が1961年に作った『赤穂浪士』(大佛次郎原作)を見つけたが、これは凄いオールスターキャストだった。中村錦之助、大川橋蔵、松方弘樹、里見浩太郎ら当時の若手を前面に押し出して、東千代之介、大河内傳次郎、近衛十四郎、大友柳太朗、月形龍之介、市川右太衛門らの古参が脇を固めていた。なんと贅沢! 他の「忠臣蔵」ものには必ず盛り込まれるエピソードのいくつかが省かれているのは少し残念だが、なかなか良かった。浪士討ち入りの日は「元禄15年(1702年)12月14日」。もうすぐやって来るよ~♪
爺飯34 パン食の友を作る
年寄りの主食はご飯偏重と思われがちだが、自分を含めてそれは偏見だと思う。友人たちも麺類やパンなどをよく食べている。それもパンにハムエッグなどの定番だけでなく、色んな組合せを楽しむ。さっき作ったのは、バナナを切り入れたヨーグルトと、リンゴ2個を「CCレモン」で煮たコンポート。リンゴが少し透明になったら後は余熱任せとひどく簡単。パンを含めて原価は1000円以下、コンポートなどは日持ちするから1食当たりの単価はかなり安い。柑橘類でマーマレードを作ったり、アボガドやキウイが安ければそれもヨーグルトにぶち込む。干しブドウなどのドライフルーツもなかなか美味しい。パンへのこだわりがあるとしたら、バターが多い物や、Pascoの「超熟」のように”旨過ぎる”もの、オカズパン系はなるべく避けて、できるだけ素朴に作ったものを選ぶことかな……。
爺飯33 明日、お供えされる「チキンマサラ」
明日12月5日は歌舞伎の十八代目中村勘三郎の命日(「十八世」と書くのは間違い。世は親子関係があるもの。勘三郎家系は一度、途絶えている)。彼は大のカレー好きで、足繁く通ったのがインド料理の老舗・銀座の「ナイル」だった。ここで食べたのは「チキンマサラ」。友人でもあるナイル氏は、勘三郎の命日にはそれを供えてきたという(以上、『サラメシ』情報)。まして正忌(祥月命日)の明日は、きっとお供えされるのだろう。行ってみようかな、それともレシピを真似して作ってみようかな。そうそうたる美女たちと、死ぬまで浮名を流し続けた艶福にあやかって……いやいや、あやかりたくない。カレーが辛くて泣くならいいが、痛い目にあった記憶ばっかりでむせび泣きそう。トホホ
もうすぐ終わる土曜日の詩
あと40分少々で土曜日の今日が終わる。連投3本目になるがご容赦を……浜省の『もうひとつの土曜日』は名曲だが、YouTubeに寄せられた視聴者のコメントが泣かせるので紹介しよう。[唯菊川 2 年前] 先日この曲を彼氏が唄ってプロポーズされました‼歌詞が凄く伝わりました(TT)30才差夫婦になりますが、この人について行こうって思います😌いい曲🎵 [瀬優 1 年前] もうすぐ、嫁の三回忌です。浜省の歌で知り合った中28年の月日が走馬灯のように流れていきます [misao Kawamori 1 年前] わたしを励ましてくれた。浜田省吾さんに、一度会いたいですね。今67才病と闘いながら、頑張っています。……。たかが歌、されど詩。しかし人生を凝縮して感じる瞬間がある。
椿をめぐるふたつの話
(その1)春までは椿(カメリア)の季節。新潟市出身の小林幸子が唄う『雪椿』は、ヤブ椿が日本海側多雪地帯に適応した品種だ。また『寒椿」といういかにも冬っぽい品種もあるが、これは山茶花となかなか区別しにくい。わが故郷・佐渡は暖流に挟まれているせいなのか、実にたくさんの種類の椿が自生ないし栽培されている。有名な伊豆大島より種類は多いかも。島内には椿と名の付く地名も多いし、椿を画題にする画家も多い。椿油で天ぷらやカルパッチョを出す料理屋もある。納屋の片隅で油絞り器を見たことある。
(その2)実は、椿の話をしたかったのは季節とは関係ない。山崎ハコの「五木の子守歌」を聴いたからだ。半ばから歌詞はこうなる「おどんが打死(うっちん)だちゅて 誰(だい)が泣(にゃ)てくりゅきゃ 裏の松山 蝉(せみ)が鳴く」「おどんが打死(うっちん)だば道端(みちばた)いけろ 通る人ごち 花あぎゅう」「花はなんの花 つんつん椿 水は天から 貰い水」(意訳:自分が死んだって裏山の蝉が鳴くくらいのもんだ。死んだら道端に捨ててくれ、だれか通行人が花をくれるだろう。花は椿だろ、水は雨だな)。こういう弔われ方にはちょっと憧れる。遺書を書いておこうかな。