h.Tsuchiya

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爺飯71 市長が嘆く「ボロネーゼ」スパゲッティ

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 挽肉と野菜をたっぷり入れたミートソース風のスパゲッティをサイゼリヤなどは「ボロネーゼ」(ボローニャ風)と呼ぶ。安い時に買ったトマト缶が「早く使えよ」と訴えているように見えたので自分も玉ねぎや鳥ムネ肉などを使ってソースを作った。これだけではコクがないから合い挽き肉やピーマン、セロリなどを加え、パスタと春キャベツを一緒に茹で、作り置きの味卵を載せて完成。自己流「ボロネーゼ・スパゲティ」……だが、そう呼ぶのがちょっとはばかられる。先月12日、イタリア・ボローニャ市長が「スパゲッティ・ボロネーゼはボローニャ発祥じゃない!」とネットで嘆いていたからだ。これには世界が驚いた。市長によると「スパゲッティ・ボロネーゼ」は他の地域で勝手に作られて流行ったもので、他のパスタを使った「タリアテッレ」や、肉料理の「ラグー・アッラ・ボロネーゼ」こそがボロネーゼ発祥の伝統料理だという。……これって、中華の天津丼や名古屋の「台湾そば」に本場が異を唱えるようなものかな?あるいは「カリフォルニアロール」を江戸前の職人が「あれは巻き寿司じゃない」と外道視するようなことかな……既成事実に押し切られた市長のムダな嘆きと見えるが、これもボローニャが世界最古の大学都市であり、イタリアきっての「美食の街」という誇りがあるのだろう。……たしかに、ボローニャには行ってみたい。そして中世の名残を残す赤い屋根の家々を眺め、長く長く続くアーケード(ポルチコ)を歩いてみたい。

 

携帯が「突然死」した朝の教訓

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 朝、出がけには動いていた携帯(android smartphone)に、電車内で読むために「青空文庫」アプリを入れようとした途端、画面が真っ暗に。電源ボタンも効かない、クリップの先端でリセットボタンを押しても無反応。……一瞬、パニクった。派遣先に「出勤TEL」や「上番(現地着任)TEL」を入れなくてはならないのに……。でも、どうにもならないものはドーニモナラナイのである。思い直して開き直る。……目的地に到着し、とりあえず駅周辺で「公衆電話」を探すが見当たらない。震災時などを考えてNTTは「公衆電話は無くさない」と発表したはずなのに……あきらめて商店街を歩くこと5分、すると「アッタァ!」 セブンイレブンの前に発見。10円玉を取り出し、会社にかける。「あ、都内なら03つけなくて良かったんだ」とか「10円で話せるのは何分だ?」とか考える(正解は1分弱で、ほぼ一方的に話して終り。10円以上用意しなくてはならないと学習した)……それで朝の最小限の連絡はOKだったが、イヤイヤ、不便この上ない。メールもSNSもFB、ブログ、LINEでの月末振込確認も、調べものもカメラもダメ。……知らぬうちにスマホ依存な暮らしだったと反省。帰宅し、SIMフリーの別マシンにデータ移植などをしたが、ふと思い立ち、「電源ボタンと音量大ボタン」を長押ししたら、なんてことなく復帰した。これは、WinPCでの、あの悪評高き強制再起動「Ctrl+Alt+Delete」と同じかも。……教訓、「突然死」にも耐えるタフなオフライン体制の用意も必要だ!

677 爺飯70 気分の上では「贅沢ランチ」

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 警備の仕事は、配置の都合で現場がコロコロ変わる。だが、そのたびに新たな気分、新たな見聞が得られる。ランチ一つも環境しだいで色んな愉しみ方ができる……昨日は八王子・南大沢の自然公園で持参の弁当の後に、コンビニ・ワッフルとコーヒーでデザート。芽吹き始めた新緑がすがすがしかった。今日は大森のショッピングモール・フードコートで、テナントの魚屋が直営する店の「アジフライ定食」、やたらでかいアジ2尾にタルタルソース、たっぷりのアラ汁がついて770円。お腹一杯! 色んな店が並ぶ中からの品定めが愉しかった。……ふだん自宅周辺しか出かけなかった自分には毎日が面白い。たぶん、会社周辺の決まりきったランチ(サラメシ)しか食べられないリーマン諸君よりはるかに精神的贅沢を感じている、と思う。……でも、こんな体験を愉しみ、ノーテンキなことが言えるのも、噛める歯がまだあるからだろう。やがて歯がボロボロのなるとこう愚痴るはず。「年を取るてえと、旨うめえ物を食うより楽しみがないのに、歯が悪くなるから、だんだん旨めえ物がなくなっちまあ。こんなべら棒な話ってあるかい。」……「べら棒」に想わず笑ってしまうが、この言葉は市村羽左衛門(たぶん15代目)。詩人・萩原朔太郎が随筆『老年と人生』で紹介していた。

爺飯69 「大洋」に居た二人の「近藤」と鯨

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 今日、横浜ベイスターズなどの監督も務めた近藤昭仁氏が死去。ベイスターズの前身「大洋ホエールズ」の内野手として活躍.。80歳。高松市出身(写真3選手右端)。……ワシは、野球少年だった頃、どうも読売巨人軍は好きになれず、国鉄スワローズの金田に憧れたがサウスポーになれなかった。次に好きになったのは、奇手を繰り出す「知将・三原修」の大洋だった。……「大洋」には実は二人の「近藤」が居た。1番が今日亡くなった新人「近藤昭仁」で3番が「近藤和彦」。とくに「和彦」の天秤打法にシビレタ(死語?)。バットを頭の上に寝かせ右手でグリップエンド、左手で中ほどを持ち頭の上に寝かせるようにして構える独特のスタイルだった。「すべての一流は独自スタイルを持つべき」と確信した。……1960年、三原就任後、前年最下位だったのに水原率いる巨人と優勝争いし、前年最下位からのリーグ優勝を果たす。日本シリーズでも毎日大映(大毎)オリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)相手に4連勝して日本一になった。世間が、60年安保で暗く騒々しかったけど、小学生の自分は大喜びした。……今、振り返ると「大洋」を好きになった理由は、親会社「大洋水産」の「マルハ鯨大和煮缶詰」が大好物だったからかもしれない。鯨カツは給食にも出たし、鯨生姜焼きステーキも好きだった。やっぱ、ガキの頃から食い意地はっていたんだな。……最後にご冥福を……。

すまんが誰か、ワシに説明してくれぇ

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 今日のニュース評論で以下のような文章を見た。だが、この隔靴掻痒感と「バカか?」としか思えない印象はワシだけだろうか? 誰かワシに「中身」を説明してくれぇ。
 「平成の30年あまりの年月は、階層的に、また商品の価格的に消費のゲームの可能性を広げたということができる。贅沢なブランド品の消費とは別の経路で、デフレ的商品の消費は、自分がシステムにただ従う愚かな主体ではないことを主張する手段になる。もちろんこうした主観的な解放が、しばしば客観的にはシステムへのより深い従属の契機として働いていることも、見逃してはならないのだが。…中略…「エシカルな消費」、または関係づくりを主眼とした「第四の消費」や、消費を媒介に地方と関わりを夢みる「関係人口」への信奉がそれで、モノの有用性の獲得やみせびらかしといった目的が否定され、望ましい関係づくりに役立つことが、消費に求められる。…中略…もし真のあたらしい時代が来るとすれば、それは、私たちを駆り立てきた消費のゲームの可能性や限界が具体的に検証され、それを更新する道がより切実に求められるときなのである。(貞包 英之 2019年3月25日 11時0分 現代ビジネス)」
 ワシが簡単に言えば、「皆がビビッて過ごした平成経済。それは続くぞ」で良いはず、 こういう文章を書く人は、口は回るがジ頭が良くない。友人としても適当ではない。

爺歌52 新谷のりこ『フランシーヌの場合』の背景

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 来週一杯で3月も終わる。この時期に想い出す曲は、新谷のりこの『フランシーヌの場合』。「♪フランシーヌの場合は、あまりにもさびしい♪ 3月30日の日曜日……」ってやつである。これは実際に起きた事件がベースだ。……1969年3月30日の日曜日、パリの路上でフランシーヌ・ルコント(30歳)が、「ビアフラの飢餓」に抗議して焼身自殺した。前年5月、フランスは学生と労働者による革命状態のゼネスト騒乱が起き、チェ・ゲバラ毛沢東が運動のアイコンになった。今の「イエロージャケット・デモ」なんか比ではない……閑話休題。CM作曲家・郷伍郎は、フランシーヌの報道に触発されて『フランシーヌの場合』を作詞作曲。シャンソン歌手・新谷のり子の協力も得た。その2か月後、日本コロムビアから発売されて大ヒットして。当時はカルメン・マキの『時には母のない子のように』が先行してヒット。和製フォーク・ソングの全盛で日本のプロテスト・フォークの代表作となった。……「日本のプロテスト・ソング史」があるとすれば、これよりずっと前に、定期コンサート「フーテナニー」の系譜から同志社大岡林信康が『山谷ブルース』でデビュー。B面の「友よ」もベ平連集会などでさかんに合唱された。……さらに岡林は、部落解放の子供の作文から2枚目のレコード『チューリップのアップリケ』を出し、若者のカリスマになった。余談。彼のバックバンドをやっていたのが、「ハッピーエンド」だったのだからすごいな……ともかく3月が過ぎ、4月も過ぎたら平成は終焉を迎える。半世紀前にこんなことがあったことは、伝えて行きたい。

ほぼリアル「就老(就活老人)日記」(その28)

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(「お神酒徳利」コンビのお陰でほめられた!)
 昨日より10度以上も寒いから、「熱燗徳利の首つまんで~♪」とやりたくなる。徳利で神棚に備える一対を「おみき徳利」と言い、俗には気の合うコンビを茶化して言う。幕末、長州の高杉が命名した門多(井上薫)と俊輔(伊藤博文)は司馬の小説などでとくに有名だ。近年では亀井と平沼もそう呼ばれた(でも麻生と安倍がそう呼ばれないのはなぜ?)……今日の現場には、そんな「お神酒徳利」コンビが来た。遠目に、細いのと太いのがトボトボ歩みで来た。足の悪い細を太がかばっているように見えた。ワシは「あぁ、今日も”老老介護現場”か」と溜息。もう2週も続いた足場組みの現場で、なぜか回されてくるのが使えぬ爺ばかり、親方や監督から何度も怒られていた。……集合して分かったのだが、この2人とは初見ではなかった。4ヵ月前、就労して1週間目の自分が視たのは、2人が、狭い道ででかいリフト車をバックで100mも誘導する様子。「自分もいずれ、あれができなくては……」と思ったものだ。……そこで、前に記事にした「片交」を2人に任せた。太いのが「(車が)行くよ!」と棒を振ると、向こうで細いのが「オーライ!」と応える。その呼吸が絶妙、まさに「お神酒徳利」。……これまでのヨボヨボ要介護爺たちはいくら言っても動けず、声も出せなかったのと大違い。お陰で、帰りがけに親方から「今日は良かった。来週、違う現場だけど、また3人で頼むよ」と、最後の日に初めてほめられた。……自分も、早く「お神酒徳利」の相方に出会いたいものだと、うらやましくもあった。さ、一杯やるか!