h.Tsuchiya

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100年目の「売文社」

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 堺利彦(1870ー1932)を知っているだろうか? 2010年にわずか42歳で亡くなったノンフィクション作家の黒岩比佐子が書いた彼の伝記「パンとペン」(講談社文庫)の一節を借りて簡単に紹介するとこうなる。

「日本社会主義運動の先駆者、思想家、啓蒙家として知られているが、もっとも有名なのは、日露戦争が始まる前年の1903(明治36)年、親友である幸徳秋水と共に平民社を創設し、週刊『平民新聞』を発行して戦時下で反戦運動を続けたことだろう。だが、それだけではない。社会主義者で投獄された第一号、女性解放運動に取り組んだフェミニスト、海外文学の紹介者で翻訳の名手、言文一致体の推進者、平易明快巧妙な文章の達人、そして、軍人に暗殺されかけ、関東大震災では憲兵隊に命を狙われた男でもあった。(以下略)」

 ボクらがこれまでに教科書的に知っていたのは、大逆事件幸徳秋水関東大震災で虐殺された大杉栄らの盟友で、社会主義者として暗黒の1930年代を生きた男という程度だった。でも、黒岩比佐子がすごいのは、彼が1910年末から1919年3月にわたって、堺が続けた「売文社」という事業に注目し、そこから堺だけでなく周囲の人物群像、当時の社会情勢、文化状況までをいきいきと描き出すことに成功したことだ。そして、こんな時代に、こんなユニークな男がいたことを教えてくれる。堺は「売文社」事業によって、自分と仲間たちが、「パン」つまり生きるための糧を得ることと、「ペン」つまりおのれの主張を貫くこととを、きわどくバランスさせることができたのだ。読後には不思議な爽快感があった。

 「売文社」とは今日でいう編集プロダクションと翻訳会社を兼ねたような事業を始めた。「売文」という名称には半ば自嘲が、半ば誇りと自覚をが込められている。その商標は食パンに万年筆をぶっ刺したものだった。

 ボクら団塊世代ベトナム戦争と世界的な大衆的政治運動とビートルズの渦中に青春を送っている。だから反戦と民主主義と進歩的な文化には少なからぬ共感を持っている。同時に現在の国際政治と政治家と文化の低迷ぶりに幻滅もしている。その度合いが、ボクらの前後の世代よりもはるかに大きいのだが、そのことは表面に出てこない。どう見てもフツーの、どこにもいる、いつの時代にもいたジジババである。でも、どこかに「青春のシッポ」みたいな魂の導火線がまだ残っていて、何かの拍子にそこが点火すると、妙にアツくなってしまうのだ。

 黒岩比佐子の「パンとペン」つまり堺利彦伝は、ボクの導火線に火をつけた1冊だった。折しも、再上京して、「やり残した」感のある編集仕事を再開しようとして少しづつ仲間を増やしている時期である。それだけではない。堺が盟友幸徳秋水がでっち上げの大逆罪で絞首刑になった夜、やけ酒に酔いながら同志たちと信濃町の駅から歩いて帰ってきた道すがら、怒りの末に道路工事中のランプを次々と蹴り壊した。その道筋、そして「売文社」のあった四谷の須賀町、左門町は、ボクの住んでいる町でもある。100年前、同じ場所で、同じような仕事をしていた大先輩がいたことに感動した。ただ違うのはボクも仲間たちも政治活動を絶って久しいことだ。「こころざし」を違う形でまっとうしてから死ねばいいと思っている。