h.Tsuchiya

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お気に入りの散歩道

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 新宿への行き帰りに、気が向くと地下鉄に乗らずに歩くことがある。ほぼ20分ほどかかるが、日中だとお気に入りの道筋があって、そこを歩くのが気分がいい。新宿御苑の大木戸門から新宿門までの北縁の道だ。正しくは「玉川上水内藤新宿分水散歩道」というらしい。両側から木がかぶさっており、北側には小川がある。その川沿いには、いろんな種類の野草が植えてある。そこにいちいち名札がついている。ボクは木々や草花の名前にうといので、「あ、これが二輪草、これがヒトリシズカか」などと実物を確認できるのがうれしい。

 流れている小川は、この地(四谷大木戸)が玉川上水ゆかりの場所であるということで作られた「まがいもの」 の川らしい。はるばる羽村からここまで引かれてきた多摩川の水が、ここから江戸市中に分水されていったという。今流れている水は、近くの首都高トンネルからの排水だ。

 この道を歩くようになってほぼ一年が経ち、四季折々の変化もひと通りみてきた。夏真っ盛りの今は、頭のてっぺんに太陽があって、木漏れ日の作る影も黒々と濃い。木や草の緑も深い。だけど、わずか二週間ほど前とは何かが違う。影の濃さ、緑の深さが心持ち薄くなっているし、太陽の射す角度がわずかに傾いている。日の出が遅くなり、日の入りが早くなった。そうだ、もうとっくに夏至は過ぎてしまった。いやいや、あと数日(八月七日)で「立秋」ではないか……。

 熱中症に注意せよだの、今日は猛暑日だ、熱帯夜だなどと騒がれ、合い間、合い間に、世間のあちこちで悲惨、仰天、呆然の事件・事故が起きるから、ついぞ、大きな時間の動きを忘れる。目先のことにかまけてしまう。昨日と今日をやりすごし、今日と変わらぬ明日を漫然と迎えている。その間に、地球は地軸をゆっくりと傾けて舞台を変えていたのだ。

 ほぼ無為な時間がこうして過ぎて行くのが少し怖くなっている。自然の営みがひたひたと、目論見とか目的があるわけでもなく進む。それはまったく不可逆で、無慈悲で無感情で、停滞とか頓着ということがない。人間の体もこの営みの一部なのだから、自分の中でもひたひたと時が刻まれている。昨日と同じ今日ではなく、今日とは違う明日になる。無常といえば無常だが、あんまり当たり前のことだと気が付いてバカらしい気になる。

 散歩するのにいちいち哲学したり、悟りを開いたりするほど高尚でもバカでもないつもりだから、行きかう人を右の目で見て、「お、美人が来たな」とか「ベンチの爺さん死んでないか?」などと思いつつ、左の目で川ぞいの草を眺めて、「あれはシャガだったな。これとクマザサは前から知っているぞ」なんて得意になっている。でも頭の大半を占めているのは、「新宿行ったら、ラーメンは桂花にしようかな、やっぱ広州ワンタン麺にするかな……ウむ、迷うなぁ」という類の俗事なのである。……世間の人は散歩しながら、いったい何を考えているんだ?