h.Tsuchiya

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頭の「始末」

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 人間の頭部の重さは体重のほぼ1割だというが、その話ではない。頭の中身=ブレーンのことである。人間は、「頭」「心」「体」の3つでできていると思うが、「心」は「頭」の一時的流通拠点、つまりデポではないだろうか? 「体」は単なるインフラではなく、「体」から「頭」へ、「頭」から「心」へという回路もあるように思う。ともかく、この3要素の密接な相互関係の上に「自分」がなりたっている。だから唯物論も唯心論も間違っているし、ともに正しいともいえる。

 あぁ~、こんあやっこしい話を書くつもりじゃなかった。「頭」というのは、洋服ダンスの引き出しのような構造をしているという前提で考えると、人間は、その引出しを、しょっちゅういじくって出したり入れたりしている。インプットもあればアウトプットもあり、その双方のバランス、収支が合わないと、どうも落ち着かない気分になる生き物ではないだろうか?

 なぜこんなことを考えたか? 今、自分は「体」の心配はない。カネの心配はなくなないが少し減った。女はいないがそんな暮らしも慣れた(狎れた)。でも、何か足りないような気がして落ち着かない。ささいな周囲の事象がノイズになって神経にさわる。ノイズだね。

 これは、「頭」の収支が合ってないからだと思い至った。簡単にいえば、インプットが多すぎてアウトプットが少なすぎたのだと思う。もっと、自分の思考や感情を、外に出す機会を作らないと、入力情報が飽和してしまう。外に出すと、話したり、書いたりすることだろう。

 思えばこの所、、誰かとじっくり気の向くままに話していない。まとまった量の文章も書いていない。ただ、その疑似的行為をしているだけ。疑似的であることがかえって良くない。

 収支を合わせ、バランスを考え、季節や環境に合わせて暮らしの計画を立てることを、昔の関西の商家では「始末をつける」といった。「始末」のできる嫁は家の宝だった。家政学の鑑か。

 人間、とくに現代人は、ともすると年から年中クズのような情報ノイズに何時間もさらされている。イアホンで音楽聞きながらスマホをみながら、ハンバーガーをかじっている。これは脳みそに多大な負荷・ストレスをかけている。それが脳を疲弊させ、うつ病認知症の誘因になっていることは、茂木某だの養老某だののぼんくらな脳生理学者だって知っている。

 シンプルに考え、シンプルに行動し、心を動かさない……不動を旨として生きる人が、生き残る社会なんだと思う。関係ないけど、明日から2月、確定申告が迫る。青色申告E-TAXの準備をしなくちゃ。すっごいリアルな「収支=始末」だな、こっちは……。