h.Tsuchiya

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何も足したくない暮らし

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 今日は小雨そぼ降る日曜日。冬の「三寒四温」のなごりなのか、春のモタモタなのか、少し寒い。室温が13度前後という日が続く。そんな一日を、午後からゆるゆると久しぶりの家仕事。それも何人かの人とデータをネットで共有しながら。一人で完結する仕事に比べれば、かったるいところあるけど、悪くない。文殊の知恵がもらえる。

 でも、家仕事はどうもダラダラしがちと反省。風呂に入ったり、惣菜を作ったり、洗濯したり、そして大好きな昼寝もしながらになってしまう。意外と時間を食ったのが、「香典返し」選びだった。先日亡くなった少し遠い親戚から届いた香典返しの「カタログ」を見て、どれかを選んでもらえるアレだ。いくらの香典返しにどれくらい返すものかは、地域の風習で異なる。ウチの場合は半額だったが、この家は少し違っているようで、せいぜい5千円程度のもの。この業界大手の「シャディ」のカタログだった。

「ネットからでもOK」とあるので、分厚いカタログはうっちゃてそちらを閲覧。おしゃれなバッグ、便利な台所用品、アイデアグッズ、女性用アクセサリー、器、お取り寄せグルメ……いろんなジャンルのものがあるが、見ながら「どれも欲しくないなぁ」と思う。人生、何度もリセットをかけてきたので、モノへの執着心がほとんどない。必要なものが少しだけあればいいし、捨てるか人にあげてしまう。本もほとんど文庫にしたのに、それももうスカスカ程度しか残っていない。

 何かを無理してでも注文しなくてはならないシチュエーションというのはツライ。「食べ物なら残らないからいいかな。でも高級牛肉だの西京漬けなんていらない」とか、「日帰り入浴券も悪くないけど、一緒に行く人もいないし。行ったところで疲れそう……」なんて迷ったあげく、無くなると補充しているのは間違いない「ドリップコーヒーの詰め合わせ」に決める。

 死んだ後を考えて「断・捨・離」する人が増えているらしい。でも老化すると決断力が落ちるから、なかなかそれが進まないという。これは、つい昨日までの延長で明日を考えるからだろう。昨日まで必要だったり使う頻度が高かったものでも、数年後には使わないはずなのに、そう思いつかないで後回しにしてしまう。すでにあるものさえ整理できないのに、これ以上、何を足す必要があるのだろう? 捨てられないものに囲まれているなら、せめて足すことだけは止めるしかあるまい。

 でも、孫やらペットらがいたりすると、ついついその庇護者気分になって、「自分のためではない」と言い訳して、その類のものを増やす。「老化防止だ」とばかり、散歩やら何とかサークルとかの付き合いを始めると、またそこで何かを足すはめになる。一人ものでも、なんでも余分に買い置きしたがる人がいて、押し入れには半年分くらいのトイレットペーパー。「用心が肝心」と、緊急用避難袋がパンパンの人もい。るほとんどはコンビニか救護所ですぐに手に入るものだったり、非常時なら辛抱できるものも多いのだ。水や乾パンは定期的に入れ替えねばならない。……あぁ、ボクの暮らしにも無駄なモノが多い。ありもしないある種の生活シーンに備えていたりする。

 口さがない世間からは気づかれない程度に、あっさり、すっきりの、必要最小限な暮らしになりたい。別に悟るってことじゃなくて、センスとか発想転換で、そうなれるような気もしている。思い出したのは、京都の河井寛次郎記念館になっている、彼の書斎。あの方丈の空間は良かった。