h.Tsuchiya

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「 サザエさんの大そうじ」

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 たぶん20代の頃だと思うが、単行本の「サザエさん」(姉妹社)のある巻で、サザエさんが大そうじする話があった。昔は畳の下に湿気除けのために新聞紙を敷いて薬をまいたものだが、サザエさんが、畳を上げていざ掃除しようとして、いつのまにかその古い新聞記事を読みふけってしまって、家族の顰蹙を買うというストーリーだった。何かをしかけていて、ひょんなことから脇道に入って、本筋を忘れてしまい、「あれ、ナニしたかったんだっけ?」となる日常茶飯事である。実にたわいないない話なのだが、大笑いしてしまったのは、自分にも覚えがあったからだ。そして周囲にその話をすると、みんなも大笑い。やはり似たような体験があるという。今で言う”アルアルねた”だ。以来、じぶんではこれを「サザエさんの大そうじ」と呼んでいる。

 今日、すっかりさびしくなった本棚から、近々、知人にあげる本を拾っているうちに、ボクも久々に「サザエさんの大そうじ」をやってしまった。はまったのは、本田靖春著『評伝 今西錦司』(岩波現代文庫)。自然生態学の「棲み分け理論」の提唱者にして、霊長類学の祖、生涯で1500以上の山に登った登山家で、著名な友人・弟子による京大人脈の頂点、文化勲章受章者……1992年に90歳で死ぬまで、やりたいことをやりつくした巨人だ。これを書くのが、肺病病み上がりの元読売新聞記者にして、遺著『我、拗ねものとして生涯を閉ず』で、残照のごとく、古き良きジャーナリスト人生を輝かせて2004年に逝った本田靖春という好対照。

 これを昼頃から読み始めて、途中、昼寝を挟んで夜7時に読了した。ボクの特技で、映画でも本でも3回以上観ないと(読まないと)覚えていられなく、2回目までは新鮮に読めるのだ。ということは、この本を読むのが2回目だったのだが、ところどころページの端折り(ドッグイア dog's ear)しているところをみると、初回から精読だったのがわかる。そりゃあ、気にならない存在のわけがない。学生時代から次々と浮かんでは消えて行ったあまたの知的カリスマ、アイドル(偶像)の中でも、彼とその京大人脈はボクの中では永らく風化しなかったからだ。煩瑣な分析主義に見えた新ダーヴィニズムより、はるかに好感を持ったし、科学というより哲学として読めたこともボクには面白かった。彼の「棲み分け理論」は、のちに日経に書いた『私の履歴書』では、こう説明している。

<この地上に生物の種類がいくらあろうとも、それらはみな種ごとにそれぞれ自分に最も適した生活の場というものを持っていて、その場所に関するかぎりは、その種こそがそこの主人公なのである。言い換えるならば生物の種類がいくらあろうとも、それらはそれぞれにこの地上を棲み分けている。進化とは、この棲み分けの密度が高くなることである。このように種と種は棲み分けを通して共存している。>

 文中の「生物の種」を水棲昆虫でなく、猿でも馬でもいいし、人間なら「ニート」「主婦」「DQN」と読み替えてもいい。進化も退化もベクトルの違いぐらいに読み替えたら、たいていの事象はこれで説明がつく。もちろん、限界もあるが……。

 というわけで、今日の「サザエさんの大そうじ」は終わった。ちなみに、アニメの『サザエさん』では、「おおそうじ」ネタはオムニバスのように色々集められている。新聞を読んでいるのは、サザエさんでなく波平さんとマスオさんになっている。姉妹社は版権にうるさかったから、ちゃんと書いていおく。みなさん、チクらないでね。あ、今は桜新町の財団法人長谷川町子美術館の管理だったね。