h.Tsuchiya

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次は「佐渡金山」バッシングか?

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 7月5日は、なでしこ敗退とユネスコ世界遺産をめぐるゴタゴタが重なった厄日だった。翌日、読売新聞は、来年、登録が見込まれている「佐渡の鉱山群遺跡についても朝鮮人強制連行のクレームが出る」と書いた。5月に韓国外交省が発表した内容をフレームアップしたものだ。学者の研究報告は以前からある。新潟国際情報大学の紀要に広瀬貞三教授が寄せた「佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945)」などがそれだ。(ネットにPDFあり)

 隣国のクレームに対する論議はともかく、自分は、客観的な資料だけでなく、当時の全体的な空気感を知って判断したいと思う。それに、世界遺産登録に奔走した島の人々の苦労を知るだけに複雑な心境だ。地元もクレームに当惑したままでなく、当時勤労動員で出ていた相川嵩女の3年生57名とか、終戦後に帰国した朝鮮人500余名の証言はもう得られないのだろうか? 金山などの「観光地」に事実は事実として明記するのは恥ではない。併せて、「金山=この世の地獄」説も一面的だったことも説明すれば良いと思う。先んじて手をうつべきだろう。

 1930年代から戦中にかけての空気感がもっと知りたい。1936年の映画「有りがたうさん」(監督:清水宏)にも、伊豆の道路工事で働く朝鮮人が出てくる(写真がそのワンカット)。でもその悲哀は、彼らだけでなく半島も日本中も飢餓や貧困にあえいでいたという背景と一緒に見ないと公平じゃないと思う。この年は二二六事件もあった。世界を覆った大不況で、あのアメリカでさえ流浪する労働者「ホーボー」がいた。

 佐渡金山は三菱鉱業所に払い下げられたとはいえ、戦時体制に組み込まれた事実上の国策会社であった。過酷な労働や多くの労災や事故、労働争議も事実だが、一方で、経営や技術面での近代化、環境整備に、当時なりに取り組んだ先進性もあったと思う。現代の価値観だけで、ましてやイデオロギーに染まった眼で、歴史を裁断するのは阿呆であろう。阿呆なことを繰り返して痛い目にあって、少しは智慧がついているはずなんだが……。韓国の人たちに言いたいことはヤマほどあるが、まずは、自分の「立ち位置」を観てからにしたいと思う。