h.Tsuchiya

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144 さよなら友よ

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 空にはサバ雲。もう完全な秋の気配。そして10月も、もう第2週へ。時の速度が加速度的だ。先月末に、FBで友の死を知った。虚血性心不全と息子さんが報告していた。千歳船橋でさしてもうからぬスナックをやりながら、いつもギターを弾いていた。彼が大好きだったのはPPM(ピーター・ポール&マリー)で、仲間と何度もライブをやっていた。ワシより2つも若かったのに……。運命とはいえ。儚すぎる。「さよなら友よ」。合掌。写真は、手島葵のライブ風景、唄っているのは「さよならの夏」。ジブリの「コクリコ坂」のテーマソングだ。空の雲の彼方に逝った友への鎮魂歌としよう。

 自分も、この夏にもう66になった。銀行の無担保カードローンの申し込み可能年齢も超えてしまった。後は、シルバー人材センターに申し込める資格がある程度。時間とともに、時代と共生しづらくなっているのをひしひしと感じるのだが、どうもこういう気分の傾き方は、あまり宜しくない気がする。自己責任だと割り切っているのだから、世間や時代との共生、シンクロをもっと大胆に認めるべきだろう。

 スウェーデンでは、介護度がかなり高い老人でも寝たきりにはさせないのが基本方針だという。特養のような施設に入って、少々認知症の気があっても、一人で出かけたければGPSを持たせるというし、酒が飲みたければ、健康に支障が見られない限り許すという。自己責任だという国民的コンセンサスがあるからだ。

 日本はある意味過保護すぎる。儒教的な敬老精神も障害になっている。施設や介護要員を増やしたりする費用をこれ以上かける必要はあるだろうか? 色んなケーススタディを重ね、オープンにオピニオンを集めながら、「自己責任」と「死ぬまで共生」できる老後ビジョンを国民が共有する啓蒙の方がよほど合理的で有効だと思う。こういう発想は、政治家や官僚や学者からは出てこない。介護の現場で働く人や、現役?の老人から考え付くものだろう。

 新しい施策、カネでもハコでもモノでも制度でもない「コンセンサス作り」を、早く始めないと、日本は、下り坂を転げてしまう。高齢大国の見本を、もっとソフトウェア開発からやることが必要だ。バタバタと仲間たちが死ぬ前に……