昔といっても昭和の30年代までは、日本中どこでも、冠婚葬祭は自宅でやったものだ。だからお膳や、揃いの食器がどこの家にもあった。来る人がたくさんだと台所仕事に助っ人が必要になる。そんな助っ人名人が、また集落には一人や二人はいたものだ。
人数を聞いただけで、材料を見極め、同時進行で次々と料理を作っていく。手伝いの人たちには、それぞれにできそうなことを指示もする。酒のお燗番しかできないのは、まだ若い近所の嫁さんだったりする。味付けも目分量でザッと仕上げる。それも、座敷でのコトを邪魔せず、その進行具合を頭に入れながらだ。
祖母は部落でも有名な助っ人料理人だった。大した謝礼がもらえるわけではないが、頼まれると断れない性格だった。後家で、4人の子供を育ててきた。
大抵は、めでたコトなら赤飯や太巻きや寒天などと、お膳に出た焼き魚をお礼替わりにもらってきた。翌日、それを煮直してワシらに食べさせてくれた。リメイク料理?
それを思い出しつつ、焼きの半端なカレイがまずかったから、甘辛く煮付けてみた。祖母に笑われそうな出来栄えだが……。(ちょっとウルウル)