h.Tsuchiya

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やっぱり今夜は「討ち入り」よ

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 週に2日ほど通う倉庫バイトの場所は「本所松坂町公園」からさほど遠くない。公園と名づけられているがここは『忠臣蔵』討ち入りの舞台・吉良邸跡。元禄15年12月14日の討ち入り当時の邸宅は2550坪もあったというが、今は30坪にも満たない狭さ。それでも「首洗い(みしるし洗い)の井戸」が残っている。本懐を遂げた浪士たちは、この後隅田川沿いに歩いて永代橋を渡って高輪泉岳寺に向かう……。かつて日本人の大好きだった『忠臣蔵』なのだが、今の50代以下には伝わらない。(;´д`)トホホ。

 『忠臣蔵』好きは、それぞれに思い入れの深いエピソードを愉しむ。吉良邸向かいの旗本・土屋主税は、高張提灯を高々と掲げて「吉良の邸から逃げ込むやつは成敗する」と浪士たちを応援したという話も好き。引き上げに際して、一旦、両国橋のたもとで、吉良の息子である上杉の襲撃を想定して待機したとか、本当ならまっすぐ両国橋から隅田川を渡ればよさそうなものだが、奉行・服部彦七が、「不測の事態が起きぬよう」と「永代橋に向かわれよ」と諭す話も悪くない。その永代橋だが、これは綱吉50歳を祝って架けた3年前にできたばかり。前は深川の渡し舟だった。この橋ができるのを見越して渡し舟業の株を売買する話を、作家山本一力がある小説に書いているのも面白い。また、橋のたもとにあった味噌屋「ちくま(乳熊)」で、休息した浪士一行に、店主が甘酒粥をふるまった……。討ち入り前後、この周辺で起きたことは、虚実とりまぜてたくさんあるのだ。

 あぁ、こんな暇ネタを、酒でも飲みながら延々と話せる仲間が欲しいなぁ。ま、せめて「ひとりしみじみ呑みながら~、時を過ごす」しかあるまい。あ、これは、三波春夫の『元禄名槍譜~俵星玄蕃』の一節ね。「心すみだの川風を~流れてひびく勇ましさ。一打ち、二打ち、三流れ~あれは確かに、確かにあれは~山鹿流儀の陣太鼓♪」でも聞こえてくるかもしれない。いいねぇ~