h.Tsuchiya

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ネット時代の市民的正義は?(1)

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 世界中隅々にセキュリティカメラや携帯カメラがある時代に入って、情報の記録と発信は誰でも行えるようになった。SNSで拡散して瞬時に共有され、事象・事案の真相も、深層も暴かれるようになった。それによって、既成の権威、価値観、倫理、常識、報道も変わり、人々の行動規範も変わってきているように思う。これは全部「可」とは言えないまでも、悪いことではない。そう思ってしまう自分が居る。

 YouTubeで人気のある投稿動画に「Instant Karma & Instant Justice」(意訳すれば、因果応報と天罰覿面)、「Bully Fail」(同、性悪の報い)などがある。いじめっ子がいじめられっ子にKOされる、悪質な酔っ払いが町の人にボコられる、DQNドライバーが横転自滅する、コンビニ強盗が店主や客に逆襲され、せっかくのフード武装も顔を曝される(写真)……といった動画が次々出てくる。冒頭シーンをむかついて観ていた、こちらの気持ちが、スッとする。

 これは、時代劇だと「必殺シリーズ」や「桃太郎侍」のカタルシスと同じだ。でも台本のないリアルな出来事だから、その「天誅」顛末がもたもたしてたり、報復が甘かったりすることもある。すると思わず、自分も飛び出して行って、”悪人”どもに跳び蹴りを食らわしたくなる。腕力も、歳のことも考えずに血がのぼる。……それにしてもこのヤル気、この衝動は何なんだろう?

 今年放映されたNHK『新映像の世紀』のテーマは、世界中の億単位のカメラが時代の記録者・証言者になることが、まさに「新世紀」だというものだった。しかし、時代の流れは賢(さか)しげなTVディレクターのオツムより先に進んでいるように思えてならない。

 世界中の、のべ数億人が、「Karma 」「Justice」「Bully」などを見て、表現しがたいヤル気や衝動を溜め込んでいる気がする。記録や発信程度なら野次馬どまりだが、血がのぼって参加すれば当事者になってしまう。ここで怖いのが、それがただの衝動やオッチョコチョイではなく、溜め込んだ覚悟の上だということ。確固たる信念と、正義感と犠牲的精神で、行動に移す。その結果、それが支持されれば「市民的正義」となる。弱いものが無力さに泣き寝入りすることを、監視している世間が見逃さない。法や秩序とは違う「ものさし」……悪くない、と思う。