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現代日本のタブー(Part2 前半)

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Part2.ひと月の間に起きた事件とタブー

 

 人類はサルより賢くて、善良で、進化し続けている生き物か? 毎日、世界中のどこかで起きている事件や事故を見る限り答えは「No!」だ。その事件や事故にしても、特定の集団の中で守られてきたルールを破ったり、守られてきた「タブー」を冒すものがある。それも一向に減らない。ためしに、あるひと月の期間(2017年11月)だけに限って、いくつかの事例を見てみよう。これらは、決して、特別(例外的)なものではない。これからも起きる。まず、世界で起きたことから……。

 

インドネシアジャカルタでは、2015年にできた蝋人形館で展示していたヒットラーの像を撤去した。米国のユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センターSimon Wiesenthal Center)」などの批判を受けたからだ。ヒットラーやナチズム礼賛へのタブー、それを批判する世論は根強い。

 

○サッカー韓国代表とコロンビア代表の強化試合で、コロンビアの選手が、韓国の選手に対して、両手で目をつり上げるポーズを取り、人種差別的行為にあたると批判を浴びて謝罪した。また、ほぼひと月前には、野球のメジャーリーグワールドシリーズで、アストロズ内野手が、ドジャースの日本人投手ダルビッシュ有に対して同様の行為をして、後に謝罪している。人種的偏見を露わにすることも「タブー」である。

 

○数々のオスカーも受賞したハリウッドの大物映画プロデューサーが、過去30年近くにわたって、多くの女優などにセクハラを行っていたことが、女優の告発によって明らかにされた。プロデューサーは、弟と共同設立した会社から解雇。事実上、ハリウッドを追放された。特権的な立場を利用したセクハラ事件は、「パンドラの箱」を空けたかのように、その後も、有名監督や俳優だけでなく各界VIPに対しても類似の告発が続いている。米国キニピアック大学(Quinnipiac University)の世論調査では、女性有権者の約60%が、「セクハラを経験したことがある」と答えた。これは「#METOO(私も被害者)」というSNS内のキャンペーンになって未だに“炎上”を続けている。

 

……これらは日々起きている事件のほんのかけらに過ぎない。ナチス・タブー、人種・女性・障害者への差別。頻発するこれらの事件が、人々の心のどこかを刺激するのはなぜだろう? 「タブー」と差別は、どこかで密接に関係していることが感じられる。……いや、深堀りするのは後回しにしよう。同時期に起きていた日本の“事件”を見てからにしよう。

 

  • 21世紀によみがえった「村八分」事件

 

 大分県北部のわずか14世帯が住む小さな集落で「村八分」事件が起きた。事件は、大分県弁護士会がこの集落の自治会に対して、「ある住民男性(68歳)に『村八分』のような扱いをしている。他の住民と平等に扱うように」という人権侵害の是正勧告したことから表面化した。この男性は、2009年に母親の介護と就農のために自分のふるさとであるこの集落にUターンした。しかし農地開拓の補助金の配分を受けられないなどの差別を受け、2013年には行事連絡や市報の配布先からも除外され、集落の構成員から外された。

 

 今回の事件に対して、自治会側はこの男性が住民票を移していないとか、自治会への入会手続きをしないなどの理由をあげて「村八分」の事実はないと反論している。しかし大分県弁護士会では、過去にも県内の別の集落で類似の事件が起きていたことから、今回は是正勧告という措置に踏み切ったという。だが、それ以降目立った進展はないままだ。

 

 日本の「村八分」というのは、村落(村社会)の中で、掟や秩序を破った者に対して課される制裁行為であった。地域の生活における成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行など10の共同行為のうち、放置すると他の人間に迷惑のかかる葬式の世話と消火活動の2つだけを除いて、つまり80%の交流を絶つ共同絶交というか集団的ないじめである。だが、都会に住む多くの人は、現代日本には「村八分」など存在しないと想っていたから、この事件に何世紀も昔に引き戻される気分がしただろう。

 

 しかし「村八分」事件は、これからも各地で起きる可能性はある。ゴミの収集、里山の共同利用、農業用水路の掃除、祭礼の運営など、小さな村落の住民たちが長年にわたってルールを作り、守ってきた共同体の暮らしが、高齢化や人口流出などで維持できなくなってきていることが背景にある。ルールを知らない新参者や、共同体のルールより自分の利害を優先する一部の人たちが「問題」を起こしてしまう。これまで集落をまとめてきた長老たちが不在になれば、その亀裂は深刻化するが、自治を尊重する立場の行政や警察には仲介しにくい案件になる。17世紀の「タブー」が21世紀に蘇る可能性は大いにある。

 

(*イラスト:「村八分」をしめす8割と2割)

 

  • 有名人スキャンダル報道にも自主規制

 

 不倫、薬物、暴力、汚職など、政界や芸能界などの有名人が引き起こすスキャンダルは相変わらず多いが、その報道での扱われ方に不思議な濃淡がある。

 たとえば、ある有名な競馬騎手が、若い女性タレントと不倫したと報道され、それなりに世間を騒がせた。しかし、他の類似の事件では、公式会見を開いて謝罪したり、職を辞したりするところまで“炎上”して騒ぎが大きくなることも多いのに、彼の場合は、“ボヤ”程度ですまされた。

 

“事情を良く知るTV局のプロデューサー”という人が非公式に発言した話を追うと、「彼(騎手)の女グセの悪さは昔から有名だ。しかし競馬界は、マスコミの大スポンサーであり、彼はスター選手。スポンサーが圧力をかけなくても、マスコミが自主規制して、事件を後追いしないことは、最初から分かっていた」というのである。

 

 この手の話に必ず登場する正体不明の“業界通”の証言など、どこまで真相を伝えるものかは怪しい。しかし、ありえない話でないだろう。業界のタブー、マスコミのタブーというものは確実に存在するようだ。中には、そうしたタブーを冒し、プレッシャーを受けながらも調査と報道を続けた結果、人々の意識を啓発したり社会悪を摘発したりして、意義のある結果が出せる場合もある。しかし、これが不倫のような問題となると、どう告発しようが、世間の「野次馬」的好奇心を満たせばそれ以上先に進みにくい。ましてやカネにならないのなら、煽り立てる次の標的(“火元”)探しに走るのが、マスコミの本能だ。