h.Tsuchiya

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現代日本のタブー(Part2 後半)

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このひと月で目立ったのは、日本を代表する大手製造業の企業による品質管理に関する不祥事だった。日産、SUBARUの無資格検査、さらに神戸製鋼三菱マテリアル東レ、三菱アルミの品質データ改ざん……。

 

 企業コンプライアンス(regulatory compliance)によって、法律や内規などを順守し、またISOなどの国際的な品質規格に従って、厳正な企業統治(corporate governance)ができていると思われてきたビッグ企業の相次ぐ不祥事の発覚である。実態が明るみになって、その杜撰な管理体制が知られるにつれて、「モノ作り大国・ニッポン」の将来を心配する声が高まってきたのも無理はない。でも、本書はそのことを話題にするものではない。連日の報道を見ながら呆れたのは、記者会見でのワンパターンぶりだった。

 

 こうした事件の場合、記者会見では、まず関係部署の役員が、「(このような事件は)あってはならないこと。管理職を含め、しっかりと従業員教育をしていく」と表明する。そして引き連れている他のメンバーと共に立ち上がり、数十秒間深々と「お詫び」のお辞儀をするのが、一つのカタチになってしまった。もう少し深い反省をする場合は、まず上級役員の責任と懲罰を明らかにし、「社外の有識者による調査委員会を設けて、事件の真相解明と再発防止策を立てて実行します」と表明する。だがその経過や結果(効果)についてまで、継続的に真摯に公開するケースはごくわずかだ。

 

 過去には、記者会見で失言したばかりに世間の批判を増幅させたケースもたくさんあった。その教訓からこういうパターンが“完成”したのだろうが、まるで謝意が感じられない。どうやら企業が掲げるコンプライアンスの精神までも形骸化してしまっているようだ。ルールを厳格化し、細部まで規制することによって、かえって疲弊しているのかもしれない。本当に深刻なのはこちらの問題だと思うが……。

 

 思い出すのは、ほぼ20年前、2017年11月の、山一證券の廃業である。不正会計とバブル崩壊で経営破たんした大手証券会社が、自主的に廃業することを公表したのだが、会見した野澤正平社長は、投資家と社員たちにお詫びの言葉を涙ながらに伝えた。廃業という選択は最悪のものだったが、経営トップたるものの姿勢としては立派だった。少なくとも、表面だけでなく心のこもったものだった。今、そんな経営者はほとんどいない。

 

  • 捕鯨グループの実力行使

 

 2017年11月からは少しずれるが、10月下旬、和歌山・白浜のレジャー施設「アドベンチャーワールド」で、イルカショーが行われていたプールにウエットスーツ姿のオランダ人とベルギー人の男女2人が飛び込んだ。そしてイルカ漁に抗議するプラカードを水中で高々と掲げてショーを妨害した。別の男はそれを撮影。彼らの属する動物愛護団体はインターネット上で犯行予告もしていた。3人は威力業務妨害容疑で県警に逮捕されたが、反省の様子はなく、まるで英雄気取りだった。

 

 過去にも、反捕鯨団体シー・シェパード」による日本の調査捕鯨への妨害がたくさんあった。日本人は昔から鯨類を貴重なたんぱく源として食してきたが、食文化が違う世界の人々には、「友好的で知性ある動物を食べるなんて」と批判してきた。当然ながら日本人たちには、この批判は受け入れがたい。世界には様々な民族が、固有の環境と歴史の中で固有の食文化を育んできたと考えるのが、理性的な思考に思えるのに、なぜ鯨類に関してかくも感情的になるのか? 

 

歴史的事実として、19世紀の米国は、鯨から燃料用油脂分を採るだけのために乱獲し、東アジアまで遠征してきた。また日本の調査捕鯨では、現在の資源量に悪影響を与えないような捕獲頭数を科学的手法により算出し、その頭数の範囲内で捕獲。1頭1頭のクジラから、それぞれ100項目以上の科学データが収集されている。その分析結果は、毎年国際捕鯨委員会IWC)科学委員会に報告されて高い評価を得ている。調査後の鯨肉が市販されるのは、国際捕鯨取締条約にある規定「捕獲したクジラは可能な限り加工して利用しなければならない」にもとづくものだ。

 

 反捕鯨グループの執拗な妨害活動を見ていると、そのバックで何かしら国際的な“影の力”が働いているのかもしれないと思える。「シー・シェパード」が2017年夏になって急に活動停止を発表したのも疑いを深める。彼らは、感情でも信念でもない“何かの力”で活動してきたのではないか、と。しかし、まだその正体は明らかにならない。彼らを調査報道する国際的なネットワークができていないからだ。今のところ“影の力”を語るのはタブーだ。

 

  • 「可愛がり」過ぎた横綱の引退騒動

 

 大相撲の横綱でモンゴル出身の日馬富士が、若い力士を殴ったことの責任を取って引退することになった。事件の真相がすべて明らかになったわけではないが、鳥取市に巡業中のある夜、モンゴル出身力士同士の懇親会で、同席した若手力士の不作法さに腹を立てた日馬富士が、カラオケのマイクや素手で殴り、相当の傷を負わせたと報じられた。

 

日馬富士は引退表明の会見で、「弟弟子が礼儀と礼節がなっていなかった時にそれを正し、直して教えてあげるのが先輩の義務だと思っています。弟弟子を思って叱ったことが彼を傷つけ、大変世間を騒がせて迷惑をかけることになってしまいました。行き過ぎたことになりました。彼のためになる、僕が正しいことをしているという思いが強すぎた」と反省している。また「翌日にその力士と握手して和解したと思っていた」と語った。

 

彼の人となりを知る人は、「ふだん酒が原因で暴力をふるうような人ではない」とかばうし、彼は相撲の合間に「モンゴルの経済や教育を研究したい」と法政大学の大学院にも通っており、恩師も「非常にまじめで、知的好奇心がとても強い人だった」と証言する。将来は親方として自分の部屋を持つ希望も持っていたというが、27歳でその夢は絶たれた。

 

相撲界では、「可愛がり」と称して、先輩力士が後輩を手荒く「しごく」ことが習慣になっていた。それが時に行き過ぎて死傷事件を起こしたこともあった。今回もその一つと見られるが、白鵬以下モンゴル出身者が上位を占めているために、悔しさの混じった厳しい眼で見られる現状もある。また、事件が大きく報道され、終息に時間がかかった背景には相撲協会内部の対立もあるという。彼のマジメな性格に複雑な力学が働いた引退騒動だった。

 

(*イラスト:相撲界の痛い「かわいがり」方)

 

 

 11月23日は、日本では「勤労感謝の日」という祝日になっているが、戦前には「新嘗祭(にいなめさい)」と呼ばれ、収穫の実りを祖先と天地に感謝する日とされたが、ルーツは7世紀から宮中に伝わる「天皇が行う儀式」に由来する。その概略を紹介しよう。

 

23日の夕方と深夜の2度、天皇は重い白絹の衣装をまとい、「神嘉殿」に入って米と粟の新穀、新酒などを神前に供える儀式を行う。2人の「采女(うねめ)」だけが手伝い、かすかな燈明の下、暖房もない状態で伝統の所作を行う。のべ4時間にも及ぶ儀式と伝えられるが、詳しいところは分かっていない。

 体力的にあまりに過酷なので、昭和天皇は63歳で自分が行うことをやめているし、今の天皇も77歳からは時間を短縮したり、儀式の一部を省略することになった。しかし、儀式を代行する侍従らから終了の報告を受けるまでは就寝されずにいるという。

 

 前の昭和天皇(1901-1989)もまじめな方だったが、現在の天皇(1933年生まれ)もまじめで誠実なお人柄である。心臓疾患の大病も経験したのに、美智子皇后とともに公式行事を視察や慰問、交流に国内外各地に出向かれる。その過密とも思える日程は、若い人でも疲れそうだ。

 

 日本では天皇は亡くなるまでその地位に留まることが慣習として続いてきた。しかし公務をこなすのは高齢の現天皇には厳しすぎる。そこで生前に退位できる特例法が2017年6月に成立し、11月になって政府は退位の時期を2019年の4月末とした。生前退位は200年ぶりのことだという。

 

 ところで、この「新嘗祭」をもっと大がかりにしたものが、新天皇の即位時に行われる「大嘗祭」である。この儀式もほんの一部しか公開されない。2019年春の新天皇即位の際でも公開されないはずだ。日本のマスコミは、宮内庁の“秘密主義”を皇室の紋章である「菊花紋」になぞられて「菊のカーテン」と呼ぶが、そのカーテンがすべて開けられる日は、21世紀が終わっても来ないだろう。

 

 以上のニュースは、2017年11月前後に起きた事件の一部である。日本人の多くは気づいていないかもしれないが、歴史と文化が絡んだ非常に日本的な事件である。外国人には、その背景をかなり説明しないと理解されない側面がある。21世紀になって、ライフスタイルも価値観もすっかり欧米化、いや無国籍化したコスモポリタンになったつもりの日本人が多い。しかし、客観的にみれば、相変わらず「日本人的」なのである。