h.Tsuchiya

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隣人は“地獄の使者”かもしれない

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 今日、日本海にミサイルが墜ち、ホリエモンロケットが宇宙に行った。空も賑やかだったが、あまり呑気になれない。

 拙著『現代日本のタブー』の中で、最後に「タブーと向き合うための5つのキーワード」を挙げた。その2番目が「闘う気構え」というもので、見出しが標題の通り「隣人は“地獄の使者”かもしれない」というもの。「隣人」とは誰のことだろう?

 YouTubeで再生回数が多い海外投稿に、「Neighbors from Hell」というカテゴリーがある。直訳すれば「地獄から来た隣人」である。勝手にフェンスを動かす、ゴミを投げ込む、玄関前に駐車する、四六時中クレームをつける、浴室に向けてビデオカメラを向けている、ブルドーザで家を破壊する……等々、隣人たちのありとあらゆる迷惑行為が投稿されている。いくら抗議されても謝らず、言動も改めず、おとなしくしていれば「黙認」とみなし、自分の既得権と見なす。抗議すればカサにかかって反撃するのだから手に負えない。

 日本でも隣人問題として、「ゴミ屋敷住人」や、「騒音ババア」などが話題になる。昔のように近隣住民の共同体意識が強ければ、団結してこの連中を非難したり、追放したりもできたかもしれないが、今は「個」の時代だとして互いに干渉することを避ける。頼みとする行政や警察も「民事不介入」で腰が引けているから、簡単には片付かない。
 相手が日本人ならともかく、価値観や習慣の異なる外国人となればなおさらだ。キリストは「汝の隣人を愛せよ」と「隣人愛(アガペー)」の大切さを説いたが、相手が「価値観が真逆=地獄からの使者」だとなれば話は別。これはもう、戦って撃滅するしかないことになる。

 しかし、多くの日本人は、他人とくに見知った隣人と諍いを起こすことを極端に敬遠する。諍いそのものをタブー視する。法にのっとっての訴訟ごとにも不慣れである。何しろ古代以来、「和をもって貴しとなす」という言葉が大好きで、ビジネスなどの契約書でも、互いの利害が相反する場合の条項を詳しく想定することもなく、末尾に「問題が起きた場合は、双方が誠意をもって話し合うこと」と書いてすませてしまう。欧米企業と交わす契約書の分厚さとはまるで別物だ。日本人の「諍い嫌い」な気質が、もう通用しない時代になっていることに気づくべきだろう。

冒頭のYouTube投稿で目につくのは、諍いあう双方が「My Property(俺んちの財産だ)」と声高に言い合っている姿だ。そう、「自分の財産や権利が侵されている」ときっちり主張することが基本なのだ。「そのうち自分の主張の非を認めて、言動を改めてくれるだろう」と言っていたら、財産や権利への侵略は底なしになり、こちらが逃げ出す羽目になる。  ここで、「隣人」を「隣国」と置き換えて考えてみるのは、少し勇気が必要かもしれないが、どこの国も隣国との歴史的関係は円満ではないのだから気にする必要はない。中国も韓国も空間的には「自国領土だ」と主張し、時間的には「正しい歴史認識を」と声を上げているではないか。諍いはもう向こうから仕掛けられている。

戦う姿勢を持つといっても、物理的な暴力ではなく、しかるべき法的裏付けと証拠を揃え、訴訟などに持ち込むという手段である。国と国の問題なら国際裁判所に証拠を積み上げれば良い。そして、ことの是と非を明らかにし、主張すべきことは必ず声に出すべき時が来ている。