h.Tsuchiya

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ゴミのような知識はポイする時代

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杜若の舞台・八つ橋

 今日、現場の傍の川原に「黄菖蒲」が咲いていた。危険外来種で他の花菖蒲にはない黄色が目立つ。同じアヤメ科でやはり水辺に咲くカキツバタ(杜若)とは違う……そのカキツバタで調べたら、古文でおなじみ在原業平の「カらごろも キつつなれにし ツまにしあれば~」の「折句」話が見つかる。句の頭文字をつなぐと意味ある5文字になる言葉遊びだ。尻の文字まで意味を持たせたるのは「沓冠(くつわかぶり)」というらしい。面白かったのは、吉田兼好が友人に「米くれ、銭も」と沓冠の歌を送ったら、「米なし、銭少し」とやはり沓冠で返歌が来たという話……現代の谷川俊太郎も面白いものを作っていた(まず横に、次いで左端をタテに読んで)。
あくびがでるわ
いやけがさすわ
しにたいくらい
てんでたいくつ
まぬけなあなた
すべってころべ
……相手をなじっているようで「愛してます」とメッセージ……さて、ここまで書いて(読ませて)みて、ふと思う。「こんなの、ゴミのような知識だな」と。知識や経験は客観性を担保する土台を作ってくれるが、ゴミのような知識もある。今の時代、知識を蓄えるのは無駄。ストックはネットの中にある。必要なのは効率よく検索し、使い分ける知恵だろう。知識もモノもどんどん断捨離したらいいのかも