h.Tsuchiya

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『春の嵐』に降りこめられて

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 ヘッセの小説じゃないが『春の嵐』のみぞれと強風で、終日「雪隠小屋」(守衛詰め所)に降りこめられた。気象学的には「猛烈低気圧」、スプリング・ストームは例年のこと、「花に嵐のたとえもあるぞ~」と漢詩(「勧酒」井伏鱒二訳)にあるくらい、昔から花の季節と嵐はワンセット……だが、体と頭が気候の急変になかなかついていけなくて、そのつど大仰にうろたえてしまうんだよね。そこで考え直してみた。この季節、地上の造物である花々が咲きほころび、人間が浮き立つのを天が嫉妬しているのが「春の嵐」ではないか、と。世界は、天と地と人が常にダイナミックに感応し合っているのであ~る、と。1日の嵐ごときにオロオロするのが「ちいせぇなぁ」と思えてくる(脱線①「嫉妬」っていうまがまがしい文字は何で「女」ヘンなんだ?)……ところで(脱線②)、「降りこめられた」と書いて想い出したのが芥川の『羅生門』。冒頭のあたりで「「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である」とある……(脱線③)これを映画化しようとした黒澤は、羅生門下で雨に降りこめられている様子を表現するのに、墨汁入りの雨を降らしたことは有名。白黒映画で雨滴を撮るための工夫で、同じ手を『七人の侍』でも使っている。黒沢はこういう細かい”発明”が好きなようだ……うむ、ワシも嵐にやられて「脱線」しっぱなしになったか。