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現代日本のタブー(Part1 ガイジンが見つけた日本のタブー)

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Part1.ガイジンが見つけた日本のタブー

 

 2013年以来、日本に住み、ライターで経営コンサルタントでもあるカナダ国籍のグレッグ・ラムさんは(Mr. Greg Lam)、WebブログをYouTubeで発信している。最近の彼の記事で50万近くのアクセスがあったのは、「『ルール』が支配するニッポン(The Rules that Rule Japan)というもの。彼が日本で見かけた光景の中から、日本らしいと思える「ルール」をユーモアたっぷりに紹介している。そのいくつかを元に、私なりの解説も加えてみたい。

 

  • 日本は「右側通行」なのか「左側通行」なのか?

 

 日本は「人は右、車は左」の交通ルールがある。これは英国やオーストラリア、インド、シンガポールなど旧大英帝国の影響が強かった国でも共通である。人口比率にしたら世界の35%がこのルールに従っている。「Right is Right」(右側通行は正しい)とグレッグさん。

 「しかし……」とグレッグさんは疑問を持つ。「道路は右側通行なのに、駅の構内などでは左側通行を指示している場所がたくさんある。これはなぜだ?」と。典型的なのが、エスカレーターで、人々は左に寄り、急ぐ人のために右側を空けるというとても日本的な光景だという。だが、彼は「いや、違う! 大阪は逆に右に寄っているではないか」と鋭く観察している。

 

そうなのだ。厳密にいうと京都駅の新幹線から在来線や私鉄の構内に入ると、この「左右逆転現象」が起きる。京都・大阪・奈良あたりの(つまり「近畿圏」の)エスカレーターでは、人々は右側に寄っている。ところがややこしいことに、もっと西に行って中国・四国・九州になると、また「左寄り」に戻るのだから、「関西圏」「西日本エリア」がそうなっているというのでもない。他にも色々な例を挙げることができるのだが、「近畿圏」は、どこか深いところに“異国的”な遺伝子が潜んでいるのかもしれない。

 

  • 神社と寺はどう違うのか?

 

 グレッグさん一家は、日本の神社や寺にも出かける。神社と寺は「鳥居」や「墓地」の有無で見分けるという。神社には「鳥居」があり、寺には「墓地」があって、混在することはない。どちらも長い歴史の中で日本人の信仰と崇敬を集めてきた宗教施設である。

「しかし……」と彼はとまどう。神社と寺とでは、拝礼の仕方が違うからだ。神社では「二礼二拍手一礼」という拝礼のルールがあるが、寺では合掌するだけで、拍手はしてはいけないという。日本人の宗教的施設でありながら、どうしてこうも違う「ルール」なのか?

 台東区浅草にある浅草寺は雷門などの写真で有名な観光名所の寺だが、その左(正面から見たら右隣り)には浅草神社がある。ここに来たガイジンは、絶対にとまどい、間違いを冒すだろう。「でも大丈夫。ガイジンだからと許されるよ」とグレッグさんは、「不思議で、違い過ぎるニッポン」にとまどう同僚たちを励ましている。

 

 実はこの作法は、日本人でも間違う。73歳になる私の叔母も、先日、死んだ夫の法事で盛大に「二拍手」してしまった。この作法はさらにややこしい。島根県出雲大社大分県宇佐神宮などでは「二礼四拍手一礼」である。日本人でも、こんなことを知っている人は少ないだろうし、どうしてそうなっているのかまで知る人は、専門家だけだろう。

 

(*イラスト:お寺で2拍手するオバサン)

 

  • やたらと多い、公園の「禁止ルール」

 

 グレッグさんは、日本の公園も愛している。だが、やたらと「○○は禁止」というルールを書いた看板の多さにも驚いている。彼が典型的な例として見つけたのが東京・渋谷区にある都立代々木公園である。この公園の「禁止事項」、「注意事項」は、ホームページで確かめることができるが、なるほど確かに多い。

 <禁止事項>

○テント、タープ類を組み立てること。○野球、サッカー、ゴルフ、ラグビーアメリカンフットボール、スケボー等の練習をすること。○集団での音楽演奏又は大音響・高音を発する楽器の練習をすること。○サイクリングコース内を歩行すること。(写真撮影等を含む)○鳥類をとったり、花や木をとったり折ったりすること。○木に登ったり、枝にぶらさがったり、ハンモックやブランコを吊るすこと。○張り紙、ロープ張り等……以下、8項目は省略。

<注意事項>

○20名以上の団体利用の方は、サービスセンターまで届出てください。○団体利用の方は、弁当の空箱、紙くず類はお持ち帰りください。○小さな子供さんは、一人でトイレに行かせないで、必ず保護者の方が付き添ってください。○保護者の方は、子供が迷子にならないよう充分注意するとともに、衣服等に住所、氏名等を記入した名札を付けるようにしてください。……以下、3項目は省略

 

 都内で5番目、54万㎡の敷地を持つ代々木公園であるが、禁止と注意(?この2つはどう違うのかは、私にも分からない)を併せて20以上の「ルール」を設けている。多数のホームレスが居ついたり、大小色々な事件や事故があったことを踏まえ、そして恐らく「都立」という公共施設だからこそ、さまざまな方面からのクレームに「忖度」(他者の気持ちを勝手に推測して行動すること。これは昨今、政治の世界でちょっとした流行語になった)して、これだけのものになったのだろう。

 

クレッグさんは呆れてはいるが、「これでは公園で遊べない、楽しめない」と苦情を言っているのではない。日本では、こういう「ルール」の背後に「他人に迷惑をかけない」という“黄金律”があることを理解しようではないか、そうすれば誰もが快適で安全で清潔に楽しめる。それが日本の文化だよ、とブログで呼びかけているのだ。どうやら彼は、ガイジンによく見かける「文句言いたがり屋(opinionated person)」」ではないようだ。

 

  • 謎の“レッド・コーン”にも注目

 

 道路や工事現場でよく見かける赤い色をした三角形の物体。ロードコーン(Road cones)、パイロン(Pylons)、セイフティコーン(safety cones,)など名称は様々だが、グレッグさんは“レッド・コーン”と呼んでいる。本来、注意喚起のものだが、日本にはこれがやたらとたくさんあるというのが、彼の指摘である。

 

たくさんの事例映像を示しながら、「危険だから立ち入らないようにと工事現場にあるのは分かる。しかし自動販売機の前に並べて、『利用者専用ゾーン』にしたりもするし、公園には、『立ち木に登るな』と言いたげに置かれたりする」と指摘する。

コーンが街中に溢れているのは、工事関係者だけでなく、一般の人までが特別な許可も申請せずにこれを置くからだ。この“レッド・コーン”は、ホームセンターなどで300円台から買えるから、つい、使いたくなる。そして不思議なのは、多くの人がこれを置くことにさしたる抗議もせず、コーンが仕切る“聖域”には入らないようにしていることだろう。暗黙のうちに、レッド・コーン”を置く人の善意、無欲さを信じているからかもしれない。

 

(*イラスト:レッド・コーンに囲まれた人)

 

  • 喫煙者のための“聖域”まである

 

 グレッグさんたち、洗練されたガイジンさんにとって“禁煙”は普通のことである。しかし、日本に来て驚くのは、飲食店などで「分煙」と称して「喫煙室」を設けていたり、駅や繁華街の一角に周囲に目隠しするように囲いを設けた「喫煙スペース」があることだ。グレッグさんは、これも副流煙を少なくして「他人に迷惑をかけないため」の配慮なのだろうと受け止めているが、喫煙者のための“聖域”まである光景は明らかに異様だ。

 

 喫煙者が強く非難されるのは、副流煙よりも歩きながらの喫煙と吸い殻の「ポイ捨て」だ。危険でもあるし美観も損なう。

2002年、日本で最初に一番厳しい「歩行喫煙禁止ルール」を条例にしたのは、東京の千代田区である。警官や民間ボランティアが違反者を摘発して罰金2000円を徴収している。その千代田区が、「歩行喫煙禁止」を呼びかける際に使った、当初のキャッチフレーズは「マナーからルールへ」だった。その目的は、「歩きながら煙草を吸ったり、吸い殻を道路に捨てるのは常識的にマナー違反。でも、守ってくれないから、条例というルールにしましたよ」という周知のためだった。以来、15年以上経過して、摘発件数は年ごとに増減を繰り返している。では、効果がないのか、というとそうではないらしい。路上の吸い殻が多かった秋葉原などで定点観測を続けた結果、その数は確実に減少しているという。

 

そこで千代田区は考え直した。条例を厳しくして違反者を減らすよりも、やはり人々の常識や公共意識、マナーを守る気持ちに訴えるべきだと。そこで5年後の2007年にキャッチフレーズを変更した。「マナーからルールへ。そしてマナーへ」と。この言葉を看板などに盛り込んで、JR飯田橋駅出口など千代田区内にたくさん掲示するようになった。

でも「マナー」と「ルール」をループするようなこのキャッチフレーズは、正直言ってわかりにくい。キャッチ・コピーとしては落第だ。だが、これまでの経緯や行政の思い入れを理解すれば、このような表現になった理由もうなずける。

 

参考までに書くと、日本の喫煙率は1966年の83.7%(成人男性)をピークに減少を続けており、現在は19.3%とほぼOECD加盟国の平均値になった。グレッグさんの母国カナダは14.9%、米国は11.4%。日本は、禁煙トレンドの過渡期にあるようだ。

 

  • 「ルール」が無さ過ぎる建物

 

 グレッグさんは、日本の「ルール」が多すぎることだけを指摘しているのではない。逆に建築規制などには「ルールが無さ過ぎではないか」と疑問を投げかける。オフィスビルの傍に神社があったり、猫の額ほどの小さな面積に細長いビル(通称「ペンシルビル」)が建っていたりするからだ。これが海外なら、地区ごとのイメージを損なう建築計画に対しては、住民が敏感に反応して反対運動を起こしたりするのに、日本ではそういうことが少ないという。

 

 しかし、グレッグさんの指摘には少し誤解がある。近年、日本でも各自治体が、景観に配慮した街づくりを進めるようになってきた。東京・新宿区の場合、学者や町内会役員そして民間委員など10数名によって「景観まちづくり審議会」というものが設置され、大規模な建築計画の場合、この審議会の意見を諮らねばならない。委員たちから、ビルのデザインなどについて「高すぎる」とか、「歩道側の樹木を増やして」、「防犯上、植え込みが死角にならないか」などの意見が出されたら、施主や建築会社は計画を見直し、改善結果を報告することになっている。(不肖、私もその委員のはしくれであるが……)

 京都などは建物の高さ制限や看板類の配色などに厳しい。あのマクドナルドやセブンイレブンも市内では、地味な、周囲に溶け込んだ看板にしている。遅すぎの感はあるが、日本ももう少し秩序のある街並みにしようとして動いてはいるのだ。

 

 なおグレッグさんは、このゴチャゴチャした町並みをひどいと言っているわけではない。規制の少なかった時代にできたアナーキーな建物たちが作る風景や、路地裏などに日本独自の風情もあるではないか、と指摘しているのである。

 

(*イラスト:「ペンシルビル」だらけの町並み)

 

  • 結論、「日本的『ルール』を守って住めば快適だ」

 

 グレッグさんのブログは、旅行やビジネスで来日するガイジン仲間に向けて書かれている。他にもたくさんの記事をアップしていてそれぞれに面白いが、やはり20万以上のアクセスがある最近の記事に、「日本でやってはならない12のこと(12 Things NOT to do in Japan)」というのがある。たとえば、「歩きながらの飲食はだめ」、「箸の使い方を間違うな」、「“チップ”を置くな」、「公共交通機関での携帯通話はだめ」、「名刺の使い方を間違うな」、「人前で鼻をかむな」、「室内では靴を脱げ」……など身近な、そして彼なりの体験を踏まえた「文化的エチケット」を12ほど挙げている。なんだか、ここまでナーバスにならなくても良いのではないか? と思える。よほどマジメな人なのだろう。いや、彼自身も、これらのエチケットの羅列を「少しナーバスかも」と感じたらしく、その12番目のエチケットは、「キリストたるな!」とある。日本語で言えば「聖人君子であることはない」と言うのである。

 

暮らしてきた文化的背景が違うのだから、色んな失敗があって当然だ。日本では、主張や自己表現が実に「subtle(曖昧)で、時として芸術的である」、「集団としての思考、横並びの行動が尊重される文化だ」と指摘する。だから、前述したブログでも、最後の画面にこんなオチをつけた。「赤信号、みんなで渡れば怖くない(Red light aren’t scary when you’re crossing together)」。これは映画監督して有名になった北野武が、コメディアン時代(芸名:ビートたけし)に流行させたギャグ(ジョーク)である。たしかに、「停止」を意味する交差点の赤信号も、全員が無視してしまえば車が止まらざるを得ない。つまりルールが無力化する。だが、こんな言葉が、ギャグとして通用するのは、日本社会だからではないか。

 

 親日家で知的で繊細なグレッグさんが、一連のWebブログで伝えたかったことは、「ガイジンの同僚諸君、日本はたしかにstrange and differentな『ルール』がたくさんあるけど、『他人に迷惑をかけないように』という“黄金律”があることと、その場の『空気を読む』ことの大切さを知っておけば、とても快適に暮らせる国だよ。Easy-peasy(とっても簡単なこと)さ」ということのようだ。ガイジンだけでなく、日本人が観てもなかなか面白い記事が多いので、一度見ることをおすすめする

(URLはhttp://www.lifewhereimfrom.com/