h.Tsuchiya

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品川v.s.大田の「大森」争い

 今の現場は大田区。ここは大森と蒲田が合併して生まれたから「太田区」は間違い。それほど「大森」の存在感は大きいし、海苔養殖、馬込文士村競艇場など多彩な歴史もある。その一つにエドワード・モース(モールスと呼ぶべき)が日本で最初に発見した「大森貝塚」(1877)もある。縄文後期(約4千年前)の人々が食べた貝殻や魚骨、壊れた土器などをゴミとして捨てたものが地層になっている(この話、知らない人が多くて驚くんだけど……)
 しかし、モールスの調べた貝塚がどこにあったのかが長年曖昧だった。品川区は大井六丁目にあったとして記念碑を建て、負けじと大田区は山王一丁目に「大森貝墟」の碑を建てた。後年の調査で、軍配は品川区にあがり、1996年、そこに「大森貝塚遺跡庭園」を作った。品川区にありながら「大森~」である。大田区としては悔しいかも。他にも、大型イベント施設の「大森ベルポート」も品川区南大井だし、東急バス「大森操車所」(大井。遺跡庭園の隣)もある。勝手に名前使い過ぎか……
 こういう例は実際にはたくさんある。品川駅(実は港区)、目黒駅(品川区)の例とか、区や市の境界に立つマンションが「よりブランド力のある方の」地名を使ったりもする。だが、「大森」のブランド力はどんなものだろう? 駅の西側(高台)山王地区などは住宅地だが、東側は庶民的な呑み屋が多く、統一的なイメージはない。こと「貝塚」に関してだけはモールスの偉業で大森にハクが付いたのは確かだな。大田区ネーミングライツで儲け損ねた(笑)