h.Tsuchiya

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「彼岸花」を巡る2曲と1品

 彼岸休み(23日=秋分の日)を終えて現場に出たら「彼岸花」が咲いていた。毒花ながら咲く時を守って律義なもんだ。さすが「天上の花」=曼殊沙華(まんじゅしゃげ)。これを「マンジュ―シャカ」と読んで歌にしたのが阿木燿子&宇崎竜童で、唄ったのは山口百恵(1978)。でも歌詞的には「恋する女はマンジュ―シャカ 罪作り」とあるだけで、この花らしい含意は何もない。でもファン(60代後半かな?)たちには、阿木&竜童で「オトナのモモエ」歌ならなんでも良かったのだ。
 これが90歳前後の大先輩とか懐メロ好きジジババだと、渡辺はま子か由利あけみの『長崎物語』(1938?1939)を思い出すかも。「赤い花なら曼殊沙華」とストレートな出だしだ。でも、これも歌のテーマからみたらただの添え物。テーマは「ジャガタラお春」の哀れな人生である。お春は江戸初期に実在し、鎖国令によってジャガタラに流された。父がイタリア人の混血美少女。お春以外にも同じ境遇の娘は大勢いて、「日本恋しや、ゆかしや、見たや、見たや」という手紙(ジャガタラ文)が残っている。
 ジャガタラとはジャカルタバタビア)=旧オランダ領インドネシアのこと。ジャガイモ(二度イモ)もここ経由で日本に伝わった……余談。「ジャガタラ文」をバティック(ジャワ更紗)の袱紗にデザインし、お菓子(バームクーヘン)のパッケージにしているのが「唐草」という店の『長崎物語』(1967~)。題もテーマも明らかに前出の歌にあやかっているが、権利問題でもめた形跡はない。いやぁ「彼岸花」から結局食い物に流れてしまった。漱石の『彼岸過ぎまで』でオチにするつもりだったのに(笑)(これも題と中身は関係ないんだけど……)

棄てる本の「余滴」(1)

 毎週の資源ごみの日に蔵書から数冊の本を縛って棄ててきた。そしてとうとう7段あった本棚も残るは数冊の文庫本だけになった。「本を棄てる」のは他のゴミを捨てるのと違って、「文化的価値」を踏みつけにするようで少し後ろめたい。これはレコードなどでも同じ気分だった。だが、適切な処分方法がない不要なものだから廃棄するしかないと割り切った。これまでも引っ越すたびにバサバサ棄てたり、あげたり置いてきたりした。モノとしての未練はない。だが、中味には懐かしさがある。棄てる直前になって「あ、この本は読み返したい」と想ったことが何度も(何冊も)あった。まるで旨い酒の最後のひとしずく(余滴)を惜しむように……そっと除けて通勤の行き帰りに読んでみた。すると昔と違う感慨が湧いて愉しかった。

●『星の王子さま』(サン=テグジュペリ
 80年前に出たこの本は世界で8千万部も読まれている童話。NHKの「100分で名著」シリーズでも取り上げているので要点はネットでも観れるが、新潮文庫の河野真理子訳の方がキーワードを優しく訳している(例:飼い馴らす→なつく)。有名すぎるキツネのせりふも「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」と訳している。でも、読み直して自分に刺さったのは、王子とバラの花との悲恋? プライドが高いのにひどく孤独そうな花=ツンデレ女に振り回されて、王子は逃げるようにして星めぐりの旅に出た。だが結局、最後にはその愛に殉じようとする……あるんだよなぁ、こういう情況って、人間、長いこと生きているとさ……(笑)。もう一つ気づいたのは、子どもに読み聞かせしたら面白いだろうということ。よくできた話というのは、子どもの好奇心、推理力、理解力をどんどん引き出すようになっている。そして影響力も深そうだ。

移動祝祭日&ある「女傑」

 明後日9月18日は祝日「敬老の日」だ。高齢者(65歳以上)人口が国民の約3割(3627万人)にもなっているのを祝うべきなのか?むしろ尊厳死を合法化して祝う方が良い気がするが……。「敬老の日」は本来9月15日だったがそのいわれは、昭和22(1947年)のこの日、兵庫県多可郡野間谷村(現、多可町八千代区)の村長・門脇政夫が村主催の「敬老会」を開催したことによる(55歳以上が対象)。戦後の混乱期で、子供を戦場へ送った親たちも多かった。その苦労と貢献に報いるためだった。これが県を動かし、やがて国の祝日になったという話。写真は同地区の記念碑。ちなみに多可町は酒米山田錦発祥の地でもあるという。
 本来の日から移動して「何月の第何月曜日」という風の米国流「移動祝日」(Moving Holiday)になっている祝日は現在5つ。今年に残るは10月の第2月曜「スポーツの日」である(本来は昔の東京五輪開会式の10月10日)。
 Moving Holidayで名高いのは、その死後に発表された若き日のヘミングウェイの随筆『移動祝祭日』だ。名文句「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」。この本で興味をひかれたのは、ヘミングウェイほか後に名を成す画家や小説家たちが毎日寄り集まったサロンの女主人・ガートル―ド・スタインだ(肖像画ピカソ)。米国出身の著作家・詩人・美術収集家かつ同性愛者であることを公言した人でもある。歯に衣着せぬストレートな物言いは、ヘミングウェイもやりこめられたし、大きな影響も受け、また反発もしていたが、その呪縛からはなかなか抜け出せなかった。若い作家たちに「あなたたちは失われた世代ね Lost Generation」と名付けたのもこの女傑である。「自堕落、虚無的」のニュアンスがある。日本の場合「就職氷河期世代」(70~82年生まれ)がそれだというが、これは違うな(笑)

「橋の銘板」にある「きまり」



 今の現場は昔からある集落で、町境には小さいながらも1級河川が流れ、そこに築60年以上のコンクリート橋がかかっている。場所が簡単に特定されるとまずいから、川の名前は省略するが、橋のたもと(図の親柱①)にある銘板には「小源治橋」とある。きっと男兄弟で末っ子だった「源治」の家が橋の傍にあったのだろう、いや背が低かったのかな。でも何かの職人で、集落の名物男だったに違いない。いや橋を作る際の献身。献金を顕彰してかも……なんて想像しながら渡る。これは橋の入り口側から渡ったことになる。
 橋の反対(出口側)の親柱③にはひらがなで「こげんじはし」と彫ってある。「ばし」と濁っていないところに注目して欲しい。読む分には濁っても良いのだが、銘板にするときには/「川がにごらぬように」と縁起をかついで濁音にしないのが昔からの「きまり」だ。親柱の②と④には、普通は川の名前が来る。そしてこれも漢字とかなの交互だ。最近は竣工の記録版をはっているところもあるが、ここは古い流儀のままだ。
 先に書いた「橋の入り口、出口」の違いだが、昔は「日本の起点=日本橋」に近い方が入り口だったが、近代になって、役場や集落の中心地がある方向が「起点側=入り口」になる。
 たかが橋の銘板。たまに盗難被害にあってニュースになるぐらいだが、ちゃんと昔からの「きまり」があるからあらためて見て欲しい。この橋みたいに築60年っていうのは、そろそろ寿命かなと思うけど、「小源治」さんよ、なんとか頑張って欲しいなぁ。

「夏の雲」という名の公園!

 練馬・光が丘団地に「夏の雲公園」という名の区立公園があることを今日、偶然に知った。なんとセンスの良いネーミングか!調べたら54,033㎡と東京ドームより広く、プロムナードや多目的広場、ジャブジャブ池、椿の庭、テニスコートなどもあり、フリマやお祭りも行われるらしい。さらに調べると、近くには「秋の陽公園」「春の風公園」「四季の香ローズガーデン」(植物園)まであるではないか!「練馬区エライぞ!」というか造園設計した東京ランドスケープ研究所もエライ!
 なぜ「夏の雲」という言葉にドキッとしたかというと、雲の美しさ、面白さは夏、とくに旧盆過ぎから9月初めの二百十日頃までが最高だと昔から思っていたからだ。アニメの新海誠も「夏の雲」の美しさを知っているようだ。
 前に仕事現場の空を眺めながらの「観天望気」を書いたけど、その後に撮ったものも載せておく。左下は突然の土砂降りをもたらした「乳房雲」。ぷくぷく垂れ下がった不気味な形。その右は晩夏&初秋のシンボル「鰯雲」。空一面に広がるのは雨が近づいているしるし(余談、成瀬巳喜男の映画『鰯雲』も名作です)。そして右が珍しい「彩雲」。雨の上がった空に虹のかけらのように数十秒間出た。雲の氷がプリズムになったのだろう。これを見ると幸運が……と言われる。そういえば先週、映画『バービー』を観て、旨い小樽の鮨を食べるという愉しい「デート」?ができた(笑)
 さて季節は巡り、明後日8日は24節気の「白露(はくろ)」。意味は「大気が冷えてきて、草などの先に白い露ができる頃」(このネーミングもなかなかかっこいい)。澄んだ高い空=「秋天」そのものを愉しむ季節だね。

長月の奇夢夜話(3)

「奇夢」話はこの記事で一旦お休み。夢が面白いほど半覚醒の状態で「続き」を観たくなったり細部の整合性を考えたりするようになり、起きてからさらに気になることを調べたりもする。こうなると「夢」話ではなくただの「夢想プロット」になる。夢は瞬間のイメージだが、印象は尾を引く。その印象を引きずって違うイメージを繋いだりもする……せっかくの「奇夢」体験も作り話めいてきたら意味がない。次の体験までひと休みする。

●05 デブリ教とコロコロ団の死闘
 海に多くのゴミ(残骸=デブリ)が漂う。中でもマイクロプラスチックは有機物や細菌が付着し、生態系を破壊する。このデブリに悪質な菌を付けてばらまいたら世界は再びcovid19の悪夢を見ることになる。夢では、まず世界を呪い人類の絶滅を企図する狂気集団「デブリ教」が出てきた。表向きは「海洋性浮遊ゴミの回収事業」を行うグリーン企業だった。しかし夜の顔がある。背中と胸にスケボーを装着し深夜の道路を飛ぶように移動し、手にはコイルガン。カプセル入りのデブリ菌弾は着弾すると破裂して菌を周囲にばらまく。そしてあっという間に大きな町の住人の殆どが呼吸器系の異常を訴えて亡くなった……感染の原因究明に乗り出したのは若い医学生たちで、苦労しながらついに「デブリ教」の仕業と判り、彼らと戦うことにした。こちらの武器は点滴台を改造した銃と冷凍粉砕車。これは菌と敵を瞬間冷凍して文字通り粉砕して無機化してしまう。五脚の点滴台は病院では「コロコロ」の愛称があるので、彼らは「コロコロ団」と呼ばれるようになった……「デブリ教」と「コロコロ団」の死闘は世界各地で起き、「スラム街B区の争奪戦」「運河大会戦」「タワマン50階の悲劇」などすでに伝説で広まったものも多い……この夢は何度も反芻して補正しまくったが、ディテールが埋まるだけで少しも先に進めない。戦いの結末が分からないのだ。観ようとしてもうまく「続き」は観れないものだ(笑)

長月の奇夢夜話(2)

●03 仔馬と寝る女
 屏風のような岩に守られた奥深い入り江に、大型クルーザーが陸に上がっている。周囲を低く積んだ石垣が囲む。ここがヨットやクルーザーの「キール(竜骨)」の設計者として名高い「センセー」の住居兼工房だ。「センセー」は偉ぶる風はなく、この入り江の波のように穏やかだ。そのふくよかな妻女の日課は、温まった石垣の上で午睡を愉しむこと。ゆるいS字の石垣の上には寝そべった彼女の頭側に、毎日隣の岬から回って来る郵便少年の黒い仔馬が寝ている。さらにその先には黒いラブラドール犬、さらに端には黒猫が寝る。この「ゴールデン・スランバー(黄金のまどろみ)」(the Beatrles)の習慣とスタイルがいつから始まったのか定かではない。おまけがある。この人と動物たちの午睡をキャビンの窓越しに見て「センセー」はホッコリ吐息をつき、デッキチェアに深く体を埋め、やはりまどろみに入るのだった。

●04 砂漠の「かちわり」
 アイヌの血を引く若い夫婦は、古い内外のフォークソングを歌いながら世界を回る旅芸人だった。主人はギターのほかに得意とするダウジング(dawsing)の道具を、妻はアイヌの楽器の口琴ムックリ)と皮一枚張っただけの太鼓を持つ。……シルクロードを西に向かった二人が着いたのは砂漠の遊牧民の集落だったが、どこの井戸も干上がる干天続きで民たちはこの地を棄てようとしていた。古老の話では、昔は西の高い山に雪が積もり、氷室さえあったという。若い夫は話にあった山の沢をダウジングで探り、ついに良質な水脈を発見した。そして車載型の製氷機を調達して、その水を使った「かちわり氷」(アイヌ語で「コンリ」)を作った。砂糖を加えたものの他に、ここの民たちが好むカモミールと砂糖の入ったコーヒー味の「コンリ」も作った。その評判を聞きつけてキャラバンの一行が次々とこの土地に回ってくるようになった。若夫婦は製法を民たちに教え、製氷機も販売する権利もすべて与えて、自分たちは次の土地へと旅立って行った。