2008年の8月2日に漫画家の赤塚不二夫が亡くなり、7日に葬儀が行われた。その時の友人代表タモリの弔辞が情義を尽くしかつ個性的だったと評価された(写真はWithnews)。
いわく「赤塚はギャグ漫画の天才であり人柄も素晴らしかった。上京して芸人になれと勧め、マンションに住まわせてくれるなど惜しみなく支援してくれた。なのに生前一度もお礼を言わなかった。互いに他人行儀になりたくなかったから。自分は赤塚の作品の一つだ」と。
タモリと赤塚の交流などについては近藤正高の『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)に詳しい。終戦の8月に生まれたタモリの足跡を戦後日本の世相に絡めつつ書いている。また満州生まれの赤塚と満州引き揚げの両親を持つタモリの共通気質(『これでいいのだ』)を指摘している。時流の判定や博引旁証の゙仕方などが気になるが若いジャーナリストとして直向きなのは評価できる。
自分がタモリの多芸多才ぶりを知ったのは、彼がジャズの山下洋輔らと遊んでいた頃からだから古い。だが、さだまさしらを揶揄して「根クラ/根アカ」を流行らせたり、のっぺり無害人顔で『笑っていいとも』の司会をやり出した頃から関心が薄れ、『ブラタモリ』と『タモリ倶楽部』だけは認めていた。
さて、そのタモリもこの22日には79歳。不謹慎だが、今度は弔辞を読まれる側になる。でも誰が読むのか見当がつかない。思いつく面々は彼より先に物故する可能性が高い……ウーン、他人事じゃないなぁ。ワシの場合、誰が弔辞を読んてくれるんだろう? 今から指名しとかなきゃ(笑)