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「夷」と書いて「たいらか」と読む

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 わが故郷、佐渡の民謡「両津甚句」に「両津ランカン橋ぁ~え~え♪」と あるが、この橋の北部が「ヱビス(夷)」地区、南部が「ミナト(湊)」地区。それぞれに津(港)があるから「両津」だ。でも、そのヱビスに「夷」の字を当てていることがかねてから不思議だった。「東夷南蛮北狄西戎」」というくらいで文明外の野蛮人の意味。決して良い字ではない。東京の恵比寿は七福神にあやかり雅字を当てたもの。

 この謎をとくヒントを見つけた。森鴎外訳「即興詩人」(原作アンデルセン)では「たいらか」とルビがあるのを見つけて納得した。地元の郷土史に何と書いてあるかはしらないが、海と湖に挟まれた細長い砂州砂嘴)にできた平らな土地だったからなのだろうと推測。誰かが形容詞のようにして「この土地は夷なり」と書きとめたものを、後世のある時、別の誰かがこれを名刺的に「ヱビス」と読んでしまったからなのではないだろうか? 卑字の「ヱビス」なら「狄」「胡」「蛭子」でも良かったのだ。この読みが先だったのではなく、「平らか」の意味が先だったはず。……さて、誤読?したのは誰か? 当時の知識人階級の坊主か武士か公家の某だろう。
(写真右手が両津湾。左が加茂湖。中央の砂嘴上側がヱビス

 ここで素人の勝手な推断を重ねると、「たいらか」は、敵の一族を「タイラゲル」、ごちそうを「タイラゲル」という言葉とも関係がありそうだ。

 昔の人は和漢の書物をよく読んでいたし、日本語の語彙も豊富だったと思う。とくに森鴎外などは、西洋の書物、科学文献も読んでいたから、引出しの数はやたらと多い。それだけに文章中の用字・用法は融通無碍、自由自在である。先の「即興詩人」では、穉い(おさない=幼い)、協ふ(かなう=叶う)、圃(はたけ)、方(けた)なる形=四角形……てな具合で、例をあげたらきりがない。

 日本語の読み方や意味と、漢語のそれを引き比べながら、昔の日本人は、「和語」を作り変え、「国字」を発明してきた。漢文に置き換えやすい日本文を書いた。その伝統を少なくとも明治期の作家までは引き継いでいたように思う。夏目漱石幸田露伴などはかなり現代日本語に近い。でも露伴は、烏黒(まっくろ)、好色漢(しれもの)、正然(ちゃんと)、請求(たのみ)などと、漢字とルビの読みで伝える工夫が目立つ(「五重塔」より)。

 戦後はもうめちゃくちゃだ。今どき、漢字の用字・用法でこだわりを持つ作家はいるだろうか? 宮城谷昌光を思いつくが、彼も師匠の立原正秋に叱られて以来、控えめになったといわれる……。う~~ん、文字一つを見直すだけで、いろんなことが見えてくるはずなんだが。