h.Tsuchiya

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不合理ゆえに我信ず?

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 近所の神社に初詣。大変な混雑ぶり。大黒舞、獅子舞、茅の輪くぐりに破魔矢と小さな境内に縁起ものがあふれていた。近隣には神社・仏閣のほか、四谷怪談の「お岩稲荷」や、上智大のイグナチオ教会、創価学会の総本部(信濃町)など色んな信仰施設が混在している。人間は合理的、合目的的、利己的に生きようとしてもそうはいかない。そこに信仰が成立する根っこがあるのかと思う。……うむ~、元旦から哲学してしまったぜ。

 題名の言葉は、中世の神学者テルトゥリアヌスの言葉と言われているが、自分たち世代には作家・埴谷雄高箴言集(?エッセィ)の題としてなじみ深い。といっても、その中身も、埴谷の作品に関しても深くは分かっていない。当時の青年たちは、眉根にしわ寄せながら、思想書を手にしたものだ。右手にゲバ棒、左手に思想書(決してマルクスばかりではなかった)、右の耳からジャズ、左の耳から藤圭子……てな具合。ともかく、むき出しの生理の焔(ほむら)を、むりやり抑え込もうともしていた。

 それから40年……とキミマロ風に振り返ると、なんと滑稽で、いびつな時間だったかと思う。その後の生き方を振り返っても、なんと非合理かつ無駄と無理の多い道筋だったかとも思う。自分一人の人生なのに、あまりにとりとめなさすぎて、まともに総括するのも難しい。それでも、何とか終章を書き上げねばならない、そんな1年が始まった気がする。