h.Tsuchiya

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いつも「哲学」が問われている

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 2001年にゴルバチョフに取材したNHKの小林氏が、最後に「あなたはロマンチストでしたね」と感慨を伝えた。対してゴルバチョフは「モーゼの十戒だってずいぶんロマンチックじゃないですか」と応えた。……う~ん、自分ならどう応えられたろう? と自問するが、とてもこの答えは浮かばない。ふだんから分の思想や信条を相対化して考えていなければならず。ロマンチスト、理想主義者であると言われても動じない確信をもっていなくてはならず、無論、モーゼの「十戒」がどういうものかを、たとえマルキストでも常識として知っていなくてはならない。さらにはすべてをユーモアやウィットのオブラートで包むセンスもなくてはならない。

 他人に少しでもキツイことを言われるとオドオドしたり、「昨日は勤王、今日は佐幕」のように付和雷同して信念がぶれたり、野暮な言い回ししかできないようでは、とても無理なのだ。

 自分は売文業だが、言葉を生きる武器にしている真剣さにおいては政治家にはかなわないと思っている。たまには実業人にも軍人にもすぐれた言葉の達人がいる。だが、今の日本の政治家は、とても評価できるものではない。スキャンダルにも厚顔無恥で子供以下の言い訳をする都知事のM氏などは論外である。ゴルバチョフにも色々な間違い発言や判断ミスはあったが、少なくとも国際的な、歴史的なポリティシャンのレベルにはある。

 話がとぶが、もうすぐ6月6日。1944年のこの日、連合軍のオーバーロード作戦こと「地上最大の作戦」が発動された。映画『プライベート・ライアン』の舞台にもなった、ノルマンジー海岸への上陸作戦だ。ぎりぎりの極限状況の中で、政治家と軍人たちが、その「哲学」を問われた。

 こんな極端な状況は何世紀に一度あるか否かというものだ。だからといって今の自分に無縁とは思わない。世間的にどんな位置にあるかではない。名もなく、何の影響力のない庶民であっても、ふだんから分の思想や信条を相対化して考える力、つまり「哲学」は求められているのだ