h.Tsuchiya

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爺歌30 「ロニオリン」と聴こえたアチャラカ歌謡

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 坂本九ダニー飯田の「パラキン」に入って唄った『悲しき60歳(ムスターファ)』など、1960年代はアチャラカ歌謡つまり外国の歌を訳して日本人歌手が唄うのが大流行。中でも飯田久彦ルイジアナ・ママ』は出色。「♪さあさ陽気に騒いで踊ろう♪ジルバにマンボ、スクスク、ドドンパ、チャチャチャ、踊ろよロックンロール♪」なんて歌詞は原曲にはない。加えて飯田の滑舌が悪いから「from New Orleans」が「ロニオリン」に聴こえたのはワシだけではなかった。後の懐メロ系番組では意識的にはっきり発音したと当人の弁。なお、この超訳をやったのが漣(さざなみ)健児。正体は楽譜出版で『ミュージックライフ』の発行元シンコーミュージック”専務”の草野昌一。他にも、ステキなタイミング、L-O-V-E、可愛いベイビー、オブラディ・オブラダ、悲しき街角、悲しき片思い、子供ぢゃないの、砂に消えた涙、すてきな16才、ヴァケーション、ジョニーエンジェル、シェリー、電話でキッス等々がある。同社でアルバイトしてた「みナみカズみ」こと安井 かずみのも含めたらもっとある。でも草野は本業で浜口庫之介と組んだ原盤ビジネス(『バラが咲いた』など)を日本で初めて創業した人。(大滝詠一とのラジオ対談『スピーチバルーン』に詳しい)。この超訳系歌謡の系譜は、岩谷時子の『愛の賛歌』などにつらなるのだから、罪より功の方が大きいかも。……よし今夜も「♪ビックリ、ギョウーテン、ウチョーテン♪ ロニオリン」と唄ってみるか!

爺歌29 京都に行く時は「イノダ」で珈琲を

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 祇園祭後の京都の夏催事は「五山送り火」(8月16日)になる。これを「大文字焼き」なんて読んだらジモト民に軽蔑されると知ったのは25年前。ライブハウス「拾得」や居酒屋「地球屋」、納豆そばの「有喜屋」、24時間営業の「青山」珈琲店、パン屋「志津屋」……当時の観光客が知らないスポットのことも教えてくれたのは、取材に協力してくれた地元大学生たちだった。「イノダ」珈琲店もその一つ。「ここで『コーヒー』と普通に注文したらミルク・砂糖入りが出てくるからね」とも教わった。吉祥寺のライブハウス『ぐゎらん堂』で高田渡が唄っていた「珈琲不唱歌=コーヒーブルース」(「三条へいかなくちゃ♪三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね♪」)に出てくる店かと思い出した。彼も地元の若モンに教わったのかもしれない。「イノダ」は市内各所にあるので、以来、京都に行くたびにここか六曜舎に立ち寄る。
 そんな渡が2005年に死んで今は息子「漣くん」が活躍。「武蔵野タンポポ団」や大阪の初代「春一番」の連中は今、どうしてるんだろう?

爺歌28 「ミーハー」語源のアノ人と『銭形平次』

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 軽薄な流行かぶれを「ミーハー」というようになったのは1927年からとはっきりしている。スィーツの「ミつまめ」と当時のアイドル「林(ハやし)長二郎」を追っかける輩を指したのだ。「林」?は顔切り事件前の長谷川一夫の芸名で、この人の銭形平次役が「工夫があって一番良い」と評したのは原作者の野村胡堂。胡堂は「平次のモデルは『水滸伝』の礫投げ・張清だ」とも明かしている。……27年間で380篇以上も書かれた銭形平次シリーズはたびたび映画やTVドラマにもなったが、大川橋蔵主演で「なんだ神田の明神下で~♪」という舟木一夫の主題歌も良かった。胡堂は生前、神田明神に「平次塚」を建てるのを断固拒んだのだが、当人は、尊敬する先輩岡本綺堂の『半七捕物帳』の半七塚を浅草花屋敷に建てたのだから、泉下から文句を言ってもはじまるメェ。ちなみに平次が投げた銭「寛永通宝」は今だと30円くらい、ちゃんと回収したってヨ。

爺歌27 父も「その日その日~のでき心♪」だった?

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 大正6年生まれの父が存命なら100を超えていた。佐渡・石名の冷飯食い(三男)が、番匠(大工)見習いから陸軍に入り、各地を10年転戦して終戦少尉で除隊。兄たちを追って佐渡・新穂へ引揚げ。臨時米穀検査員の仕事を見つけ、その後農林省技官に本採用。以来40年以上勤続、大きな過誤もなくワシと姉を育てた。こう書くと謹厳そうな印象だが、田舎芸者とにやついている姿や弥彦神社社殿前で佐渡おけさの衣装で賞状を持つ証拠写真もある。そう、ほどほどに”遊び人(軟派)”だったようだ。自分が親戚から「老いてますます父親そっくり!」と言われるようになり、すごく嫌だったが、この頃は「もっと一緒に遊び、呑みたかったなぁ」と思えるようになってきた。そして一緒に唄いたいのが戦前からのこの曲『侍ニッポン』。「その日その日~のでき心♪」という歌詞が秀逸。人生すべて「でき心」というわが家系のDNAを互いに笑えたのに……。今年は十三回忌だった。