h.Tsuchiya

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爺飯75 「ソロ社会」に向けた自炊術

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 「ソロ社会」という言葉がある。国勢調査によると、2015年現在、日本では1842万人が一人暮らし(7人に1人)。過去30年間で比率は約2.2倍になった。50代男性に占める単身者の割合は、1985年は5%だったが今では、50代男性の5人に1人弱。単身者世帯は2040年には約4割に迫るという。これが「ソロ社会」だ……一人暮らしで切実なのはメシ。今は親や女房まかせあるいは中食・外食に頼っている独り者だが、数年、十数年先もこのまま行けるか? 飽きたり栄養が偏ったりしないか? パック米が売れている(2017年には販売金額が約405億円)ところをみると、惣菜だけ用意して自炊した気分になっているのか?……先日、ある人に「酒肴は手作りしている」と話したらドン引きされた(本当は弁当や夕飯、ジャムもと言おうとして止めた)。とくに男は自炊に抵抗あるようだ……少数ながら自炊を考えている男たちのために、今夜は2品だけレシピを。【1】佃煮で炊く炊き込みごはん→佃煮なら何でもOK。ご飯や少しの根菜と一緒に炊く。その目玉は肉でも魚でも良いが「豆」がおすすめ。これもグリーピースや大豆などの缶詰がコスパ良だ。【2】鳥ゴボウ→炊き込み具材の定番であり、保存オカズにもなる。ゴボウは他の食材を黒くしてしてしまうから別に炊く。濃いめの味にして最後にごま油やラードなど少し油と鷹の爪を加えれば長持ちする。薄味で汁や根菜を足せば筑前煮にもなる……あとは場数を踏むのみ。

爺歌60 令和最初の「神田祭」と『お祭りマンボ』

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 日枝神社の「山王祭り」と隔年交互に開催される神田明神の「神田祭」が9日から始まっている。鳳輦(車付き)と神輿と飾り山車が見られるのは今日10日の「神幸祭」。それらが合流するのは夕方4時半ごろの日本橋三越前……ということで、急に休みが取れた今日現地に出かけた(展覧会の帰り)。鳳輦の行列は、ちょっとした「時代祭」。風船で作った「大江山酒呑童子」の首山車も悪くなかった……帰りがけ、日本橋の彫刻に灯が灯り、新潟・第四銀行東京支店の小さな物産コーナーで笹団子を気まぐれで買った……ひばりの『お祭りマンボ』(1952)はこの「神田祭」が舞台だろう。だから銀座線・神田駅の発車メロディにもなっている。軽快なマンボリズムの歌が、後半、「家を焼かれたおじさん」と「ヘソクリ盗られたおばさん」の哀しいスローな話になってオチが付く……歌詞の中で、今の人に分かりにくいのは「火事は近いぞスリバンだ♪」のところだろう。町内ごとに火の見やぐらがあって半鐘がぶら下がり、火事が起きると消防団の人がこれを叩いていたのを知る人はジジババ世代。この叩き方で火事が近いとか大火とかが判った。遠ければカン(ないしジャン)、カン(ジャン)と一つづつ。火が迫っているとカン・カン・カンの三連打。鐘を擦るように打つから「擦半鐘」(スリバン)と言った。そして鎮火すればカン(ジャン)となる。ここから「すべて灰に帰した(無駄になった)の意味で「おジャンになる」との言い方でできた(wikiっぽいけど)……明日の「神田祭」は神輿勢ぞろい。元気が残ってたら明神まで行ってみるか。

「表現しなけりゃ生きられない」人たち

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 東京ドームに「ギャラリー・アーモ」なる画廊があるなんて知らなかった。わざわざ出向いたのは話題のキューレーター・櫛野展正(くしの・のぶまさ)による『アウトサイド・ジャパン展』を観るためだった。あるサイトの紹介によると、「日本ではまだ馴染みの薄いアウトサイダー・アートとは、一般的に美術の教育を受けていない人々の創作のことを指し、2010年にパリで開催された『アール・ブリュット ジャポネ展』をきっかけに今、世界的に注目を集めている。(中略)(櫛野は)障害者アートをはじめ、ヤンキー文化や老人芸術に関する作家など、表現せずにはいられない独自の感性を持った人間たちを追い続けている」とあったのに魅かれた(写真もSPICEのサイト https://spice.eplus.jp/articles/234676)……決して「アーチスト」ではなく、作っているものも「アート」ではない72人2000点もの作品が並ぶのは圧巻。毎日架空芸人とネタを書き留めている男、昆虫で鎧武者を作った爺さん、ひたすら奇怪な仮面を作った謎の人、毎日食事メモを描き続ける元調理師、あの過剰な成人式衣装を作る九州の洋服屋、使い込んだ雑巾をひたすらスケッチする掃除夫爺さん……どれも尋常ではなく密度が濃い。まさに「表現しなけりゃ生きられない」人たちの生きざまが惹きつける……大学まで行って「美術」を学び、創作しないがいつも「アート」を意識してきた自分の、「ちっこさ」に気づいた。櫛野は「『人はなぜ表現をするのか』ということを追い求めたくて、僕はこの活動を続けています。(中略)普通なら自暴自棄になってしまいそうな境遇を、彼らはエネルギーに変えて創作のきっかけにしていることが素晴らしい」という……自分は、ちまちました日常の、常識の中で生き続けていることを「擬態かも」と自嘲することもあるが、「表現しなけりゃ生きられない」場所に身を置くべき時期かもしれない。(5月19日まで開催)

爺歌59 沖縄に行きたくなる『浪漫飛行』

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 「トランク1つだけで浪漫飛行へin the Sky♪飛び回れ このMy Heart♪」(『浪漫飛行』)……カールスモーキー石井という才人はマルチにプロデュースも演出できるようだ。たとえば標題の曲は、当初から「航空会社のCMソングとしてオファーが来ないか」と狙って作ったという。それが見事に当たり、1990年にJAL沖縄旅行「夏離宮キャンペーン」のCMに起用された。1987年に仕掛けて3年(1990)で実ったことになる。推計売上は約170万枚という……ワシは、この曲を聴くと、やはり沖縄に行きたくなる。「夏離宮」という言葉にイメージを喚起されるからかもしれない。実際にはもう20年も沖縄に行っていない。沖縄で講演した縁で、地元JAL系ホテルのHPコンサルティングに招かれたのが最後……想い出は基本的に食い物だ。国際通りではなく松山でつまんだ「焼きテビチ(豚足)」とか、宿泊した那覇第一ホテルの、20品も並ぶ超ゴージャスな朝食(野菜中心)とか、ジャッキーの赤身がうまいビーフステーキ等々……今度、行けるとしても自腹になるが、誰か気を遣わずに済む友人と行きたい。まだ訪ねたことがない、近隣の島々や八重山にも行きたい。死ぬ前に、一度や二度は行けるさぁキット!

 

爺は「推す」のか?「敲く」のか?

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 その昔、唐代、賈島という詩人は作詞して、「僧は推す月下の門」という一句のほかに「敲(たた)く」という語を思いついて迷い、なかなか決まらなかった。まごまごしていたら韓愈という役人の行列に突っ込んだ。漢詩の大家だった韓愈は話を聞いて、「それは『敲く』の方がいい、音を響かせる風情がある」と言った。ここから、字句を練ることを「推敲」という。
 長年の商売柄、いつも頭の中で言葉を反芻している。言ったり書いたりする前に、あれこれと考えてしまう。といっても、大した文章を練っているわけではない。たとえば、「畳ごと卓袱台(ちゃぶだい)返し」が良いか、「卓袱台ごと畳返し」が良いかと迷う。……前者は、映画『自虐の詩』で、主演の阿部寛が何度もやっていた。後者は、何となく『巨人の星』のイメージだ。忠臣蔵のいろんな映画の中で、巨漢の義士が槍をかざして畳返しをして見せるが、あまり聞いたことのない逸話である。これは、「俵星玄蕃」の「俵崩し」を誤解したのではないかと思う……ほかにも、渋谷でしゃぶしゃぶの店看板を見て、「これは『シャブ渋』とした方が覚えやすいのでは?いやいや、『渋シャブ』かな?」とか、実に下らない。でも、言葉や文字の使い方にどうしても執着が湧いてしまう。この癖って、たぶん死ぬまで治らないだろうと自覚している。トホホ……

爺飯74 佐渡の筍づくしで……

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 佐渡・畑野の友人ホシナさんから、今年も筍を送ってもらった。ご自宅の庭に出てくる孟宗竹の子を掘ってくれたもの。掘り立てだからみずみずしく柔らかいヤツが5本も。ひと握りの米と米臭さを消す刻み唐辛子少々を水きりネットに入れて弱火約30分。これでアク抜き完了。3分の1は薄味の出し汁で煮て汁ごと冷凍。後で色々と愉しむことにした。……今夜のは、写真【1】筍ごはん。淡白すぎるから強めの脇役が要る。前は桜エビだったが、今回は「ツブ貝の缶詰」を汁ごと利用。アサリにしたかったがこっちが安かった。でももっと小さく刻むべきだった。【2】牛肉と筍の中華風炒め。【3】刺身。茹でただけの筍にユズ味噌とワカメを添えた。これが一番、筍の風味が味わえた。おまけに【4】ナスの即席漬け……茹で立て筍はスーパーでも売っている。連休前には半身で800円ぐらいだったのが、今日は560円とまだ高い。半分以上手間賃だろう。幸運にも品質の良いのが入手できたら自分でやることをおすすめ。「放置プレイ」で良いし、硬さを調整できる……愉しみ方はヤマほどある。昨日は、レトルトカレーの具に加えた。茹で筍は冷凍するとスが入ってボソボソするが、これは「メンマ」もどきにできるかもしれない。梅干し用の赤しそ汁と梅肉で漬物という手もある……佐渡にいたら、孟宗以外にも真竹や淡竹(ハチク)、根曲がりなどをそれぞれに愉しめるのに、それがちょっと残念。……ともあれ、友人に感謝、感謝!

隣人は“地獄の使者”かもしれない

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 今日、日本海にミサイルが墜ち、ホリエモンロケットが宇宙に行った。空も賑やかだったが、あまり呑気になれない。

 拙著『現代日本のタブー』の中で、最後に「タブーと向き合うための5つのキーワード」を挙げた。その2番目が「闘う気構え」というもので、見出しが標題の通り「隣人は“地獄の使者”かもしれない」というもの。「隣人」とは誰のことだろう?

 YouTubeで再生回数が多い海外投稿に、「Neighbors from Hell」というカテゴリーがある。直訳すれば「地獄から来た隣人」である。勝手にフェンスを動かす、ゴミを投げ込む、玄関前に駐車する、四六時中クレームをつける、浴室に向けてビデオカメラを向けている、ブルドーザで家を破壊する……等々、隣人たちのありとあらゆる迷惑行為が投稿されている。いくら抗議されても謝らず、言動も改めず、おとなしくしていれば「黙認」とみなし、自分の既得権と見なす。抗議すればカサにかかって反撃するのだから手に負えない。

 日本でも隣人問題として、「ゴミ屋敷住人」や、「騒音ババア」などが話題になる。昔のように近隣住民の共同体意識が強ければ、団結してこの連中を非難したり、追放したりもできたかもしれないが、今は「個」の時代だとして互いに干渉することを避ける。頼みとする行政や警察も「民事不介入」で腰が引けているから、簡単には片付かない。
 相手が日本人ならともかく、価値観や習慣の異なる外国人となればなおさらだ。キリストは「汝の隣人を愛せよ」と「隣人愛(アガペー)」の大切さを説いたが、相手が「価値観が真逆=地獄からの使者」だとなれば話は別。これはもう、戦って撃滅するしかないことになる。

 しかし、多くの日本人は、他人とくに見知った隣人と諍いを起こすことを極端に敬遠する。諍いそのものをタブー視する。法にのっとっての訴訟ごとにも不慣れである。何しろ古代以来、「和をもって貴しとなす」という言葉が大好きで、ビジネスなどの契約書でも、互いの利害が相反する場合の条項を詳しく想定することもなく、末尾に「問題が起きた場合は、双方が誠意をもって話し合うこと」と書いてすませてしまう。欧米企業と交わす契約書の分厚さとはまるで別物だ。日本人の「諍い嫌い」な気質が、もう通用しない時代になっていることに気づくべきだろう。

冒頭のYouTube投稿で目につくのは、諍いあう双方が「My Property(俺んちの財産だ)」と声高に言い合っている姿だ。そう、「自分の財産や権利が侵されている」ときっちり主張することが基本なのだ。「そのうち自分の主張の非を認めて、言動を改めてくれるだろう」と言っていたら、財産や権利への侵略は底なしになり、こちらが逃げ出す羽目になる。  ここで、「隣人」を「隣国」と置き換えて考えてみるのは、少し勇気が必要かもしれないが、どこの国も隣国との歴史的関係は円満ではないのだから気にする必要はない。中国も韓国も空間的には「自国領土だ」と主張し、時間的には「正しい歴史認識を」と声を上げているではないか。諍いはもう向こうから仕掛けられている。

戦う姿勢を持つといっても、物理的な暴力ではなく、しかるべき法的裏付けと証拠を揃え、訴訟などに持ち込むという手段である。国と国の問題なら国際裁判所に証拠を積み上げれば良い。そして、ことの是と非を明らかにし、主張すべきことは必ず声に出すべき時が来ている。