h.Tsuchiya

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爺は「推す」のか?「敲く」のか?

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 その昔、唐代、賈島という詩人は作詞して、「僧は推す月下の門」という一句のほかに「敲(たた)く」という語を思いついて迷い、なかなか決まらなかった。まごまごしていたら韓愈という役人の行列に突っ込んだ。漢詩の大家だった韓愈は話を聞いて、「それは『敲く』の方がいい、音を響かせる風情がある」と言った。ここから、字句を練ることを「推敲」という。
 長年の商売柄、いつも頭の中で言葉を反芻している。言ったり書いたりする前に、あれこれと考えてしまう。といっても、大した文章を練っているわけではない。たとえば、「畳ごと卓袱台(ちゃぶだい)返し」が良いか、「卓袱台ごと畳返し」が良いかと迷う。……前者は、映画『自虐の詩』で、主演の阿部寛が何度もやっていた。後者は、何となく『巨人の星』のイメージだ。忠臣蔵のいろんな映画の中で、巨漢の義士が槍をかざして畳返しをして見せるが、あまり聞いたことのない逸話である。これは、「俵星玄蕃」の「俵崩し」を誤解したのではないかと思う……ほかにも、渋谷でしゃぶしゃぶの店看板を見て、「これは『シャブ渋』とした方が覚えやすいのでは?いやいや、『渋シャブ』かな?」とか、実に下らない。でも、言葉や文字の使い方にどうしても執着が湧いてしまう。この癖って、たぶん死ぬまで治らないだろうと自覚している。トホホ……