h.Tsuchiya

My NEWS

飲食業サバイバルの街「四三」

f:id:RIPEkun:20180729161350j:plain

 自分の住む四谷三丁目(通称:ヨツサン)でカレー「Coco壱」が今日店じまいした。長いこと営業してきたから客数減より労賃など固定費高かもしれない。飲食業が生き延びるには厳しい町だ。商圏分析のサイトを見ると、この町の商圏人口は約1万5千人、世帯数9600、小売業総売上高は181億円。人口や世帯数が少し多い神楽坂は209億、それらが3分の2しかない新宿御苑前が893億もあるのは、新宿3丁目近接だからだろう。……消えるものあれば出てくるものがあるのは自然だが、すぐ消えるのも多い。ウチから30秒のところあるビル地下の店舗は、この6年で5軒が潰れて出て行った。直感的に「入りにくい」と思わせる店構えなのだ。3ヵ月前にパキスタン系らしき人の店ができたが不入りらしく家族総出で毎日ビラ配りしている。同情するが入る気にはなれない。退去は時間の問題に見える。彼らの無知、無謀さもあるが臆面もなく貸し出す仲介屋やオーナーも悪辣だ。「四三」には、そういう空気を醸す店が他にも数軒ある。……自分とは商売違いながら、「小さな商圏で生き残る条件は何なのだろう?」と考えながら帰ってきた。

爺歌31 「ドドンパ」男の歌を唄う爺たちへ

f:id:RIPEkun:20180727004241p:plain

 日本語『ルイジアナ・ママ』には「スクスク・ドドンパ・チャチャチャ…」と当時の流行ダンスが出てくる。このうち「ドドンパ」は日本限定。「都都逸」と「マンボ」の合成語という説はクサいが、「ドドン」(三連符+休符)「パ」というリズムの形を作ったのは、母親がフィリピン人だった苦労人歌手のアイ・ジョージ(石松 譲冶)だというのはホントらしい。色んな曲をこれで編曲して関西のクラブあたりで人気になった。それに目を付けたビクターが1961年に売り出した渡辺マリの『東京ドドンパ娘』が大ヒット。一方、ジョージも独特の歌唱法と声量で『硝子のジョニー』や『赤いグラス』などのヒットに恵まれた。でも、後者の『グラス』は、フランク永井石原裕次郎のカバーの方が売れたかもしれない。……ま、それはいいとして。『赤いグラス』を聴こうとYouTubeすると、最初にババに当たるので要注意だ。「某S」なる爺さんのトンデなくヘタな唄を聴かされることになる。爺だから声が出ない、続かない。最悪だ、老害だ! 彼の他のサイト評価履歴を見るとタガログ版グラマー美女ものが多い。一緒にデュエットさせられている女性もそっち系パブのママかと推測(邪推?)……はぁ、同輩諸君!もういい加減、公共の場でのデュエットものは止めようよ。

爺歌30 「ロニオリン」と聴こえたアチャラカ歌謡

f:id:RIPEkun:20180726234539p:plain

 坂本九ダニー飯田の「パラキン」に入って唄った『悲しき60歳(ムスターファ)』など、1960年代はアチャラカ歌謡つまり外国の歌を訳して日本人歌手が唄うのが大流行。中でも飯田久彦ルイジアナ・ママ』は出色。「♪さあさ陽気に騒いで踊ろう♪ジルバにマンボ、スクスク、ドドンパ、チャチャチャ、踊ろよロックンロール♪」なんて歌詞は原曲にはない。加えて飯田の滑舌が悪いから「from New Orleans」が「ロニオリン」に聴こえたのはワシだけではなかった。後の懐メロ系番組では意識的にはっきり発音したと当人の弁。なお、この超訳をやったのが漣(さざなみ)健児。正体は楽譜出版で『ミュージックライフ』の発行元シンコーミュージック”専務”の草野昌一。他にも、ステキなタイミング、L-O-V-E、可愛いベイビー、オブラディ・オブラダ、悲しき街角、悲しき片思い、子供ぢゃないの、砂に消えた涙、すてきな16才、ヴァケーション、ジョニーエンジェル、シェリー、電話でキッス等々がある。同社でアルバイトしてた「みナみカズみ」こと安井 かずみのも含めたらもっとある。でも草野は本業で浜口庫之介と組んだ原盤ビジネス(『バラが咲いた』など)を日本で初めて創業した人。(大滝詠一とのラジオ対談『スピーチバルーン』に詳しい)。この超訳系歌謡の系譜は、岩谷時子の『愛の賛歌』などにつらなるのだから、罪より功の方が大きいかも。……よし今夜も「♪ビックリ、ギョウーテン、ウチョーテン♪ ロニオリン」と唄ってみるか!

爺歌29 京都に行く時は「イノダ」で珈琲を

f:id:RIPEkun:20180726224628p:plain

 祇園祭後の京都の夏催事は「五山送り火」(8月16日)になる。これを「大文字焼き」なんて読んだらジモト民に軽蔑されると知ったのは25年前。ライブハウス「拾得」や居酒屋「地球屋」、納豆そばの「有喜屋」、24時間営業の「青山」珈琲店、パン屋「志津屋」……当時の観光客が知らないスポットのことも教えてくれたのは、取材に協力してくれた地元大学生たちだった。「イノダ」珈琲店もその一つ。「ここで『コーヒー』と普通に注文したらミルク・砂糖入りが出てくるからね」とも教わった。吉祥寺のライブハウス『ぐゎらん堂』で高田渡が唄っていた「珈琲不唱歌=コーヒーブルース」(「三条へいかなくちゃ♪三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね♪」)に出てくる店かと思い出した。彼も地元の若モンに教わったのかもしれない。「イノダ」は市内各所にあるので、以来、京都に行くたびにここか六曜舎に立ち寄る。
 そんな渡が2005年に死んで今は息子「漣くん」が活躍。「武蔵野タンポポ団」や大阪の初代「春一番」の連中は今、どうしてるんだろう?