h.Tsuchiya

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年寄りのカラオケ「老曲離れ」

 カラオケスナックでボクよりも年寄りの連中としばしば一緒になる。カラオケボックスじゃないから他人の歌も聞くし、義理ながらも拍手もする。こちらも古い人間なので、そんな人に気づかって、相手が喜びそうな古い歌、ボクが名付けて「老曲」をリクエストする。「月がとっても青いから」とか「弁天小僧」「喜びも悲しみも幾年月」「山の吊り橋」「お別れ公衆電話」「旅姿三人男」等々。ボクがリアルタイムではないにしても聞き覚えのある「老曲」。しかし、その先輩連中は、知らん顔してスルーすることが多い。ちょっと古すぎたかとタイムゲージを調整して「みだれ髪」「津軽恋女」「女の港」「ネオン川」「東京砂漠」などにシフトしても、反応が少し良くなる程度。では、その先輩たちが何をいれるかというと、「○○なんとか」「かんとか××」と聞いたこともない曲。どうも最近ひいきにしている若手演歌歌手の新曲らしい。それも「これ、昼カラでも練習したのよ」なんていう。

 年寄りは自分では気が若いと思っている。古い「老曲」を唄って、いかにもジジババと思われるのが嫌なのだと、悟った。中には、AKBだの「雪の華」などを唄うジジイもいるが、これはさすがに気持ち悪い。「どうせ、どっかの姉ちゃんから習ったんだろう」と思えてしまう。しまいには、こういう先輩たちに気遣いすることがアホらしく思えて、こちらも無視することなる。勝手に、「幻の名曲探し」モードに入る。谷川俊太郎作詞で長谷川きよしが唄った「死んだ男の残したものは」とか、中島みゆきの「背広の下のロックンロール」、同「狼になりたい」、石川セリ八月の濡れた砂」、ちあきなおみ夜へ急ぐ人」(写真)、小椋佳「白い一日」……てな具合。こちらは本職が”言葉屋”だから歌詞にひかれてしまう。ヒットしたかどうかはどうでもいい。

 カラオケもやっぱり何らかの美学なんだろうと思う。ある歌に仮託して、自分の中の何かを「良し」と肯定したい気分が出る。カラオケどころか昼カラまでやっている「すれたジジババ」は、やっぱりその美学がイカさない。ボクにとってカッコ悪い人生を「良し」としてきた連中に思える。年寄りだからって、誰もが敬するに値しない。悪運が強かっただけの、品性下劣なジジババは山ほどいる。今日、健さんが死んだ。この人の悪口を言える人は少なくて、「最後までカッコ良い人」という。83歳でこう言われて死ぬ人はマレだ。たいていは人生の晩節を汚して消えて行く。そうはなりたくないのだが、こんなバカなこと書いてるようじゃ、あの連中にかなり近いな。もっと淡々と生きることにしようかな……。

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