h.Tsuchiya

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山を看る、山が看る

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 友人をお見舞いに秦野(はたの/はだの)へ行ってきた。新宿から小田急で1時間も乗ると、丹沢山地の大山(おおやま)が雨雲の下に見えてくる。さすが昔から信仰を集めてきただけあってカッコいい山容だ。たしか豆腐が名物だ。(写真は晴れた日の大山。ネットから)

 秦野はさらに丹沢の中に踏み込んで位置する古い町だが、沿線各駅同様に悪しき近代化の波に晒されている。古い商店街も、チェーン店やパチンコ屋に挟まれてが死にかけている。せっかくの、すぐ目の前にある美しい山々を愛でたり、自然に癒されることなどあるのだろうか? ただただ日々の稼ぎにせわしいのだろうか? ただ秦野駅構内で、地元名産の落花生を売っていたのが良かったけど。

 昔の、宋の詩人は、「忙しい人は山を看ていない。山に看られているだけ。ヒマがある人は山を看ている」という詞を作り、「忙(心を亡ぼす)」の状態よりも「閑(ヒマ)」である方が、ずっと良いのだと言った。「山」は、世間や人間や歴史のシンボルだろう。

 長期療養中の友人は、「自由を拘束されるのは、刑務所と病院だね」と自嘲気味に言っていたが、天が呉れたこの時間=「閑」を腰を据えて、「山」を愉しむようになるにはちょっとまだ時間がかかりそう。その気分はすごくわかるんだけどね。

 帰り道、雨がとひどくなって、もう大山は見えなかった。