h.Tsuchiya

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棄てる本の「余滴」(4)

●『杉浦康平のデザイン』(臼田捷治
 子が親より先に死ぬのは最大の親不孝。その報いで三途の河原で石を積み続けることになるが、鬼が来て蹴散らしてしまう……では弟子が”出藍の誉れ”を果たせず、師匠より先に死ぬとどんな報いを受けるのだろう……。
 杉浦康平の弟子だったブックデザイナーの鈴木一誌が、この夏亡くなった(享年73歳)。まずは冥福を祈る。
 我が同級生で"戦友"でもあったが、杉浦を追って造形大に転校してしまい、そのまま杉浦オフィスで12年も勤めて後に独立した。かくいう自分も20代は杉浦に影響され心底私淑していた。
 杉浦の半世紀以上のデザイン活動は常に革新的で理知的だった。広告宣伝畑の連中のチャラさと無思想が嫌いだったが、杉浦のような仕事の進め方があることを知って考え方を変えた。雑誌「遊」をやっていた松岡正剛も、杉浦(デザインのギャラを受け取らない)に対しては、野球少年が大谷を崇拝するごとくだった。自分もまた編集や出版プロデューサーで食べて行くぞと腹が据わった。
 平凡社新書のこの本の著者は、雑誌『デザイン』の元編集長で杉浦の活動を時系列で紹介していて読みやすい。ちなみにWikiの杉浦記事も彼が書いた。
 独断だが杉浦の仕事は大別して3ステップになる。まず今でいうインフォグラフィックスの作品群、次に主流になりつつあったオフセット印刷や写植の限界に挑んだ作品、そして今に続くのが、曼荼羅に象徴されるアジア図像学の成果だ。自分も模倣して小さな印刷屋、製版屋などで製販スクラッチや3色掛け合わせ、変形製本などに挑んだ。
 なお、武蔵美が杉浦の作品を収集し、さらにWEB化した(「デザイン・コスモス」)。だが、UIからしてできがひどく、誤字、誤記だらけ。早く修正しないとまずいぞと気を揉んでいる。
 ところで杉浦は90歳。やはり”神仙”の類か?