h.Tsuchiya

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棄てる本の「余滴」(5)

●「茶の話~茶事遍歴~」(陳舜臣
 わが四谷左門町に「大日本茶道学会」なる建物がある。「茶道」は「ちゃどう」と読み(裏千家流)「さどう」(表千家流)ではないらしい。こういうことを言い立てるから「茶道なんてねずみ講くらいの価値と将来性しかない」と悪口を言う若者が出てくる(ある書評サイト)。でも、ここの会長さんは岡倉天心の『茶の本』を現代風に訳している。構成を逆にして訳出してるのが興味深い。
 茶道にも抹茶派と煎茶派がある。本場の中国には明代に抹茶は消滅し、茶館で見せる茶淹れの作法はあるが日本的な『茶道』はない。
 「日常茶飯事」という言葉があるくらい喫茶の習慣は深く根付き規模も世界的だ。それゆえアヘン戦争ボストン茶会事件(米独立戦争の引き金)も起きた。また皇帝への献上物だった時期には課役が庶民を苦しめ、塩と並ぶ課税対象だったりもした。
 この本は小説『阿片戦争』を書くために調べたメモが元だと陳さんは書いている。前半は唐代に茶を体系的に解説した本『茶経』とその著者・陸羽の話が中心だが、それに続いて茶の良木探しや製茶法の改良に長い時間と人々のエネルギーが注がれた話も興味深い。陸羽は茶を嗜む人物の理想像を「精行倹徳之人(品行方正で節倹の美徳を持つ人)」と言ったが、皮肉にも茶を進化・普及させたのは人間の露骨な欲望だ。また中国の茶葉生産および世界消費のほとんどが紅茶だという指摘も勉強になった。
 この記事を書くために、岡倉天心の『茶の本』を青空文庫で読んだ。思った以上に審美主義で情緒溢れる記述だった。たくさんの逸話が面白いのだが、ひとつだけ紹介。利休がその子紹案に露地を三度まで掃除させたが、「そうじゃない」と叱り、傍の樹をゆすって庭一面に秋の落ち葉を散らせたという話。例の秀吉接待と朝顔の逸話にも通じるね。