h.Tsuchiya

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爺飯76 冷蔵庫の残り物で”日伊同居”メシ

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 ワシは本気で日本男子の自炊術を心配している。ふんぞり返って「フロ・メシ・ネル」しか言わない父親を見て育っていないか?海外では男たちもよく料理を作り洗い物もする……そこで考えた。自炊に抵抗感を持つ理由の一つに、「ひとり分は不経済。残り物が出るから」というのがあるのではないか?……今夜、作ったのは、鳥挽肉そぼろ大根とチーズほか具だくさんのイタリア風チャーハン。まるで”日伊同居”メシ……使ったのは冷蔵庫にあってそろそろ賞味期限が来ている手作り肉みそ、大根半切、人参、ピーマン、魚肉ソーセージ、卵などを総動員……冷蔵庫はきれいさっぱりになり、そこそこ旨かった……そぼろは大根を食べたら餡かけスープにして、チャーハンの残りにかけた。”味変”である。これで和洋中の無国籍メシに変身……夏場に向かい、食材が痛みやすくなるから、こまめに入れ替える必要もある。こういう「やりくり(関西弁なら「始末」)」は、男女関係ない……「もったいない」精神プラス「旨いもの食べたい」欲望さえあれば、アンタもできるよ!

爺本24 喫茶「poem(ポエム)」と永島慎二

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 今日の現場は高円寺。昼飯後に歩いていたら懐かしい店に遭遇。喫茶店の「poem(ポエム)」だ。この店ではないが、学生の頃このチェーン店によく通った。焙煎豆を挽きドリップで淹れるコーヒーはちょっと高級感があったが、来てる客は同年代の貧乏学生や彼の描いたような『フーテン』がほとんど。サンドイッチやカレーは手が出なかった。……この店のことを知ったのは永島慎二の漫画『若者たち(黄色い涙)』だった。出世作の『漫画家残酷物語』も面白かった。当時、同世代のリアルな暮らしを描いた漫画は『ガロ』『COM』一時期の『アクション』ぐらい。永島は自分よりひと回り年上だが、絵がモダンで、斬新なアイデアがあり、描く若もの像にも共感できた。……ところで、ワシら世代を『マガジン』だけで語るのは偏っている。もっとたくさん多種読んでた(音楽も映画も)。溢れる情報の欠片から光るものを見つけて結び付けて面白がった。だから永島の世界観とバンドのハッピーエンドの世界観が響き合うのも納得できる……永島自身は80年に大麻で捕まって以来、大した仕事はないと思う(2005年死去)。でも、このままだと埋もれてしまうなぁ。『若者たち』はKindle版でタダで読めるんだが……

生産効率はやっぱ技術革新からでしょ

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 昔の職人はワザを「見て覚えろ」と言い、釘1本打つのさえ年季だと言った。そんなこと言ってるうちに米国生まれのホッチキスみたいな釘打ち機が主流になってしまった。……先日も、土工現場でネコ(手押し車)でフラフラ運ぶ若い職人を見て、ワシは素人ながら「このやり方じゃダメだ」と思った。調べると案の定、海外では2輪目が出てきて安定するものやアタッチメントでバケット外の大きさまで運べるものなどが見つかる。タイの農村では若者がバイクのエンジン改造して「オート・ネコ」?を作っていた。墨付けも海外には便利ものがたくさんある。天井のクロス張り及び剥がしも簡便そう。敷石模様も今やステンシル。新居には組込み型のバキューム(掃除機)が普及? 水面のゴミを集めるドローン、土嚢はもう古いでしょetc.……ネットで「Genius Inventions」とか「Amazing Inventions」などで検索すると山ほど出てくる。こういうものの販売代理店業が儲かりそうだ……日本では、スーツにネクタイの連中が机の前で、コストだ納期だ生産効率だと賢(さか)しらげなことを上から目線で言うのが流行っているが、やっぱり現場の連中が日々の道具ややり方を見直して、工夫を重ね技術革新するのが一番大切だ。このままだと、海外からの技術導入や製品輸入に頼る国になってしまう。農業だって同じこと。工夫できそうなネタは身辺にいくらでもあると思う。

 

爺本23 6年目を迎えた『ニッポンのしきたり』(改訂版)

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 2008年から書いて、2013年に改訂版を上梓した拙著『ニッポンのしきたり』(IBCパブリッシング刊)は、ほぼ毎年4000部づつ増刷され、今年2019年も6回目の増刷になった。累計で4万部を超えるロングセラーになったのはうれしい。タイ語版やビッグサイズ版など、アレンジ版も出た……外国人や観光業者、英語学習者などが買ってくれているらしい。ありがたいことに、わずかながら印税も入って来る(ラクラク印税生活といかないが)……ほんとは少し書き足しや改訂したいところもある。とくに類書にはない「図像」つまり日本のイコノロジー(例:なぜ「唐獅子&牡丹」か、「虎に竹藪か」など)のことはまだまだネタがあるし、昨今の情況を踏まえた、「~すべし、~すべからず」も書けると思う……ま、そう欲張らず、少しづつ改良して行けば良いのだろう。応援してくれた皆さんに感謝です!

ほぼリアル「就老(就活老人)日記」(その32)

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(「現場」でロジカルシンキング?)
 せめて仕事ぐらいはロジカルに向き合いたいと思うが、ものごとを論理的に通そうとすると何かと抵抗が大きい。加齢とともに”精神的馬力”が減衰すると、つい惰性に流れる……今日までに、「現場」で考えたことを書き留めておく。人々が何かの作業をする場所が「現場」だから、作業は何でも良いがモノを作る「現場」が解りやすい……【その1】作業を進める際、何を基準にするかのプライオリティがありそうだ。1.合法的であるか否か、2.合理的であるか、3.合意的(多数が納得する)か、4.趣味的(自分の癖や好み)か、5.恣意的(気まぐれ)か、てな具合……【その2】「現場」を見る場合にもどの視点か、何に関心を持つかで違って見えてくる。評価軸の違いだ。たとえば働く人間に関心が湧く、使っている技術や技量、手順やシステム、設備や機材、コストや事業性、スピードや納期、といった具合……コンプライアンス過剰な時代であり、ハラスメントや「働き方」改革などが喧しいが、そんな議論ばかり目立つのはおかしい。余計なお世話ながら、もっと「現場」でロジカルに考えた上での、バランスのとれた議論が生まれてこないと、と思う今日この頃……ワシ、何言ってんだ?理屈っぽくなるのも老化の兆しだな。

爺本22 興行師・神彰を知っているか?

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 神彰(じんあきら。1922年6月27日‐1998年5月28日、興行師)という「呼び屋」がいた。 ……戦後復興期にドン・コサック合唱団ボリショイ・バレエ団、ボリショイサーカス、レニングラードフィルハーモニー交響楽団アメリカ大西部サーカス、ピカソゲルニカ展、イベット・ジロー、アート・ブレイキー、京劇などを招聘・興行した。コケ脅しに出資者の家にキャデラックで乗り付けるなどもした。また冷戦時の鉄のカーテンをこじ開けたことから「赤い呼び屋」と称される……1962年、作家・有吉佐和子電撃結婚。長女・有吉玉青をもうけるが事業の失敗により1964年に離婚。居酒屋チェーン「北の家族」の経営も手がけた。彼をモデルにしたのが大島幹雄の『虚業成れり』(岩波書店。絶版)……彼のような一匹狼の「興行師」は、今はほとんどいなくて、法人単位で手掛けられるようになった。神の後継者を探すと、神のアート・フレンド・アソシエーションに就職して仕事を覚えた康 芳夫(こう よしお、1937年5月15日 - )かもしれない。彼の場合は「興行師」と」いうより、「プロデューサー」と言われることが多いが自称は「虚業家」……富士スピードウェイでの「日本インディ開催」、「アラビア大魔法団」、石原慎太郎隊長の「国際ネッシー探検隊」、「オリバー君招聘」、「アントニオ猪木モハメド・アリ」のコーディネートなどTV向きが多いが、出版分野では、澁澤龍彥編集の『血と薔薇』創刊、『家畜人ヤプー』出版、『週刊プレイボーイ』での「三浦和義アナーキー人生相談」プロモートなども彼の仕事だ……「楯の会」の森田必勝、オウム真理教麻原彰晃も康の事務所に出入りしたなど胡散臭さプンプンでもある。彼については『虚人魁人康芳夫 国際暗黒プロデューサーの自伝』(学研)などがある……うむ、胡散臭さも人を惹きつけるなぁ。ワシももっともっと胡散臭くならねば(笑)

爺歌61 やっと判った『リンゴの唄』の秘密

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 玉置宏じゃないが、歌を紹介する決まり文句がある。その一つ、『リンゴの唄』は、「敗戦直後、悲しみと絶望にうちひしがれた日本人の心に希望のそよ風を運んだ曲」として紹介される……だが、どうしてこの歌が、この時期にヒットしたかの理由と経緯が不明だった。ワシはもちろん生まれてない!その謎が1本の映画から判った。……松竹映画『そよかぜ』(佐々木康監督、並木路子主演)は、1945年の終戦直後わずか2か月後に作られた。黒澤明の『虎の尾を踏む男』もこの年作られたが、公開されたのは3年後だった……映画の中では、『ポプラ並木』『そよかぜ』など3つの歌が流れ、作詞家3人の競作になったが、万城目正が作曲(作詞はサトウハチロー)・監修したことで彼の『リンゴの唄』が何度も流れてとても印象に残る 戦争で家族を亡くし、明るい歌が苦手だった並木路子は何度も万城目にダメ出しされたという。映画の歌をよく聴くと、前半の唄い方は後半やレコードと少し違って、「リンゴ~~の気持ちは良く分かる~♪」と音を伸ばす。そして曲は年末のNHKで流れてヒット。これを受けて翌1946年にシングル盤が発売された……リンゴは闇市で1個5円(勤め人の平均月給200円)もした。今、月給30万円ならなんと7500円!……リンゴは明治から栽培されていたからけして珍果ではなかったが、食料難の時代には果物はぜいたく品・憧れだったのだろう……憧れは心に火を点ける。「頑張ろうという気持ちにこの歌がマッチしたのだ」と、今になってやっと判った……ふぅ、自分の生前・生後の数年は、まだまだ謎だらけだ。