h.Tsuchiya

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「語り部」責任?両国橋2題

 今日14日は赤穂浪士討ち入りの日。「忠臣蔵」好きとしては日本人が忘却せぬよう「語り部」の責任感で何か話さねばと思う。現場が両国橋に近かったからその話を2つ。
 一つは義士の一人で煤払いの竹売りに化けた大高源五が、俳句の師匠であった蕉門・宝井其角と討ち入り前夜に両国橋で出会う。其角はやつれた源五を憐れんで「川の流れのように人生は移ろうもの」という旨の句を詠んだが、源五は「明日の宝船が待ち遠しい気分です」と返歌した。後に其角は幕閣の土屋主税から討ち入りの話を聴いて深く感じ入ったとか。この土屋は実は赤穂ひいきでしかも吉良邸の隣人。討ち入りの際には「三つ石」(土屋家の紋)描いた高張提灯を架け並べて味方した人(この話がカッコイイ!わが先祖だと勝手に想っている)
 もう一つは、本懐遂げて引き揚げの一行が、両国橋を渡ろうとしたら、大目付の旗本・服部市郎右衛門が「不穏ないで立ちで渡るのはイカン」と止める。しかし事情を知って「罪は問わぬが大名登城の重要な橋だから遠慮せい」と諭す。これを受け入れて一行は永代橋経由で泉岳寺に向かうことになる。これも美談。歴代俳優でも渋カッコイイ俳優が演じるが「鬼平」の中村吉右衛門が最高だった。
 てなわけで「両国橋と忠臣蔵」2題。こんな面白いミニドラマ満載のセミ史実物語がどんどん忘れられて行くのは惜しい。なんとか語り継がねば~ハァ