h.Tsuchiya

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棄てる本の「余滴」(2)

●「川の文化」(北見俊夫)
 これは日本の川をめぐるフォークロア民俗学)を手軽に読めるようまとめた講談社学術新書。この「余滴」シリーズは、中身の紹介でなく「最後のひとしずく」をしゃぶってみたという立場なので、興味のある方は「ためし読み」や電子版で読んでいただきたい。その余滴としては、生まれ変わって「佐渡の舟運」をちゃんと研究したいと思う。
 北見氏も佐渡の相川町、鉱山からの排水が注ぐ濁川沿い生まれ(1924)。教師の息子だから県内を転校したと思う。本では全国の川の研究に混じって佐渡の外海府や真更川流域などの習俗も紹介している。舟運では高瀬舟のような平底型の船が各地に見られたことも紹介している。
 自分が生まれた佐渡の新穂町は別名「太鼓まち」その心は「カワとカワ」に挟まれているからで、大野川と新穂川が一番接近して並行する区域だから、ダムや堰堤整備が完成するまでは何度も浸水災害があった。その砂礫を活かして「管玉」の「玉造遺跡」もある。また水源の山(小佐渡)には早い時期に銀鉱山が開削された(相川金山はその後)。銀鉱穴や鉱山大工が暮らした「千軒」跡もある。だが、残念なのは誰もその鉱石類の運搬を研究していないこと。自分は川と舟を使ったと見ている。道路も未整備、山に牛や馬連れで上下するはずない。新穂と大野の川にたくさんの懸段があったのも田への配分だけではなかったろう。平野の真ん中に「舟村」(舟下集落)があるし、川舟があったとか、急流の瀬や淵で舟が沈んだという伝承も聴いた。また、潟上集落の後背部にある古い銀山では渓流沿いに鉱石を加茂湖に下し、両津に送ったとの話もある……でも誰もトータルに検証していない。
 北見さんはとっくに故人(1995)。意見聞きたかった(天皇徳仁さんも舟運の学者だけど(笑))