h.Tsuchiya

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棄てる本の「余滴」(3)

●『漢文の素養』(加藤徹
「今どき、こんな本読む人いる?」。17年前にこの本が光文社新書から出るに際して、こう問うた人はいたと思う。時代的には胡錦涛・中国は反日デモも頻発していたが、経済の二けた成長が続いてホットな国だった。そこに『漢文力』(中公)という意外な視点のヒットを出し、京劇にも詳しく、面白みもありそうな少壮(43歳)の学者にして小説家でもある加藤徹という書き手が見出され、光文社は賭けでこの企画を通した。おそらく加藤のプレゼン力が大きかったろう。読めばわかるがカシコイ人だ。 
 だが、客観的に見て「漢文」は逆風だ。まるで人気がない。2022年から高校の古文・漢文の授業時間はほぼ半減された。大学入試からも消えつつある。この逆風を筆者も承知の上で、「漢文は東洋のエスペラントだった。とくに日本人は音訓を使い分け、仮名を作り、読み方(訓点)を工夫した。江戸期には儒教で漢文を学んだ武士や町人などの中間実務階級が育ち、開国後の近代化を支えた。さらに西洋の社会・人文・医科学などの翻訳語を作り中韓に輸出もした……つまり漢文の素養をベースにして日本語・日本文化が作られたのだ」と主張する……あ、イカン、イカン!「余滴」なのに中身紹介に深入りし過ぎた(だって、誰も読まないと思うから(笑))。でもこの論はもう古くないか?
 中国自体が今ガタガタで、習近平の硬直路線は孤立している。また「内巻(ネイジャン)=組織内の無駄な競争状態」とか「躺平(タンピン)族=稼ぎや出世を諦めて『寝そべる』若者)、「鬼城(グェイチョン)=廃墟・ゴーストタウン)などの新しい中国語が日本のニュースに出てくる時代になってしまった。そして著者も60歳、明治大教授。次なる中華もの出版企画をどう練っていることやら……