h.Tsuchiya

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遥かなるクリミアを想う

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 連日のウクライナ報道とくに市民虐殺や略奪のニュースは心が痛んでならない。解決への糸口が一向に見えないので辛さが増す。ロシアは2014年3月のクリミアのように東部2州も「住民の意志により独立」させ、ウクライナに親ロシア政権を作るまでは侵攻と干渉を止めないだろう。他国へ侵攻しては居直るのがロシアの伝統芸だ。日本の千島・樺太もそうだし最近では「北海道の北半分はロシア領」と公言する議員もいる。
 ロシア人の対日本観のベースには「ヤルタ協定」がある。1945年2月、ウクライナクリミア半島南部のヤルタで英米ソの首脳が集まって戦後処理の意見交換をした(地図の出所不明。新聞かな?)。英米ソ連に対し「日本に宣戦布告しろ」とけしかけ、スターリンは「日露戦争で失った領土と権益を取り戻す大義がある」と参戦に応じた。当然それ以上の賠償分(北海道)も考えてのこと。戦後、米国は「この時の協定は公式のものではない」と表明した。でも現実には同年8月9日の満州侵攻、シベリア抑留、千島・樺太占領が行われた。
 昨日、積ん読してた半藤さんの『昭和史(20年まで編)』を読み終えた。226事件(1936年)以降、日本の首脳部・軍部がどんどん劣化し、戦火を拡大し、連戦連敗しても現実認識ができなかった……既知の話だがあらためて愚者・愚行の跡をなぞると読むのがつらくなる。当然「ヤルタ」の話も出てくるが、「日ソ中立条約」に安心していた日本は気づかず、それどころか終戦講和の仲介をソ連に期待していた。アホな!……「どうも戦争の熱狂は人間を愚劣かつ無責任に仕立て上げるようです」(半藤)。
 地理的には遥かな国・ウクライナだが、クリミア&ヤルタが今に、日本にも繋がることを想えば「遥か」ではない。逆に「クリミア」でいやされる話は、晩年のチェーホフが住んだことよりも、さらに「遥か」昔の、クリミア戦争(英仏トルコ同盟×ロシア)時の野戦病院看護婦ナイチンゲール(1820~1910)だ。長くなるから彼女の話はまた後日。