h.Tsuchiya

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周回遅れのMy「グミ」ブーム

 年寄りが流行り物を追う姿はどうもみっともない、と常々思っているが、どうしても治らないわが「野次馬根性」から、流行り物と遭遇することもある。無論、はるかに周回遅れなんだが……
 その一つが「グミ」。コンビニやスーパーに行ってポテチやチョコ以上に棚を広げているのが「グミ」だと気づいた。数十種類が並び、たいていは「グミパしよう!」とPOPがある。「グミでパーティ」なんてする奴がいるのか!呆れ、驚いた。
 昔食べたことはあるが、ん十年経っているから、劇的に美味しくなったのかもしれない。人気の理由もそこにあるのかも……誘惑に勝てず買ってしまった、明治の果汁グミ「マスカット」味。”弾力プラス”とプレーンなものがあった。裏面の弾力チャートによると、4対2つまり倍ほど弾力が違うらしい。プラスものから実食……アカン!カ、カタすぎる。半分のものに変えるが、これもそこそこに噛み応えがある。ワシみたいな入れ歯ジジには無理だ。ジジババは決して「グミパーティ」などしないと思う。なお、世界初のグミ製造会社であるドイツの「HARIBO」のも試してみたがとくに不味くもない。いつか珍奇なトローリの「地球グミ」も試してみようかな。いや、やっぱりやめとこ。
 参考までに、日本のグミ市場はこの20年間で3倍以上。2022年には781億円でとっくにガム市場を抜いている(ガムはロッテ1社のみに)。世界グミ市場は2022年に192億ドル。2030年には405億ドルに達すると予測される……スゴイ成長産業なんだなぁ。
 周回遅れのMy「グミ」ブームは、はかなくも今夜ひと晩で終了。(自分に)お疲れさまでした!!!

とある日の検索結果

今日は午前中の晴天が午後から一転してみぞれ、さらには「初雪」という荒れ模様だった。でも休みだったから蒲団でヌクヌクのネット三昧。昨日からネットで何を検索してたのかを見てみた。
 自分が少し分裂症気味なのは自覚しているが、こうして一覧を見直すとそのバラバラぶり、脈絡のなさに呆れる。後付けて説明してみよう。
 まず気になった「初雪」とその荒天で中断続いた大学ラクビー決勝結果。昔は箱根と並ぶ正月スポーツで平尾誠二のいた同志社が(神戸製鋼も)好きだった。国立博物館は来週からの「本阿弥光展」の下調べ。彼は造形作品が少ないので展覧会にするのが難しく知名度も高くない。でも、天才プロデューサーとしての側面をどう編集するかを観たい(本を書く企画がボツったこともある)
 マスカルポーネは朝のチーズにイマイチ不満なのでこのイタリア産クリームチーズを試したかったから。ティラミスでも作るか(笑)。ピンクレディの「UFO」(1977)は、この数日間「脳内音楽=イヤーワームEarworm」だったから。とくに「地球の男に飽きたところよ」が繰り返された。この曲は彼女らの最大ヒットで現在までに195万枚も売ったらしい。調べて分かったのだが、歌詞の阿久は横尾忠則らとグァムでUFOらしきものを観たというし、作曲の都倉俊一は当初「白い風船」という芸名を考えてぃたという。いまだにカバー曲も多い長寿曲だね。
 日本酒の銘柄人気調べは友人の案件。seismically activeは能登半島地震関連英語ニュースで「地震活動が活発」という意味……以下略。
 呆れる支離滅裂ぶりなんだが、当時の心理や思考・嗜好状態が想い出せて面白いなぁ(笑)

長かった「冬休み」

 子供時代の「冬休み」は12月の25日あたりから1月の7日くらいまでだった記憶がある。宿題も大したことなかったから存分に遊んで過ごせた。だが、ちょっと普通の家とは違う年の瀬だった、
 長年母方家業の「切り透かし」(別名。下げ紙、ハカマ紙)作りを公務員だった父が継いだため(提灯屋業も)、こたつに入りながら夜鍋して切っていた。自分もいくつかその図案を作ったけど。ともかくその紙を近在の人たちが28日頃から買いに来る。その店番(販売担当)が自分と姉の役目で売上げが結構な額のお年玉になった。
 外に出て金(かね)下駄(スケート)や竹スキー、カマクラなどで遊ぶのは二年参りした後の元旦午後からだった。外から帰ると。竈の茶粥から出る湯気で台所中が真っ白だった……。
 さて、それからン十年も経った今年の正月だが、暮の29日から始まって昨日8日まで10日間も「冬休み」だった。夏の盆休みでもゴールデンウィークの日取りがうまくいく年ても、こんなに長い休みはなかった(入院時は別ね)。その間、どうしてたかというと「人間ぐでだま」状態で、PCとタブレットばっかり視てゴロゴロ・グダグダ……休めばそれだけ収入も減る商売なのに気にせず。行きたい映画や美術館、買いたいもの、食べたい飯……休み前には「あれもこれも」と心積もりしていたが、どうでも良くなった。
 今日から仕事は始まったが、このダラ~っとした「冬休み」に後悔はない。休み中に観たアニメ(『葬送のフリーレン』)にこんなセリフがあった。「人生ってのは、衰えてからの方が、案外長いもんさ」(アイゼン)……うん、この「ダラリとした長さ」に早く耐性をつける方が良いのかも(笑)

「年の瀬」を越せぬ人、3話

 大晦日前の数日を「年の瀬」という。「瀬」は川底が浅くなったり川幅が狭くなったりして水流が急になる場所。日月の歩みを川の速い流れに例える。溜まったツケ金や気分の澱もさっぱりさせねば「年の瀬が越せない」。そんな切羽詰まった人間を描いた古い小説を3つ紹介。
●1)織田作之助『世相』
 いつも自分の非才を嘆くオダサクは性分としてエロやグロな世相に魅かれてしまう。でも大阪下流民を描かせたら『夫婦善哉』や坂田三吉ものが書けるウデがある。『世相』はのっけから老いた元教師がヤミ煙草の押し売りに来る。途中、スタンドバーのマダムや阿部定の話が入るが、元床屋がまたもカネの無心に来る。金癖の悪さに呆れるが、一方で小説のネタにならぬものかと考え、「年の瀬の闇市でも見物」と昭和20年の戎橋筋まで出かけるのだった。(生國魂神社のオダサク像)
●2)樋口一葉『大つごもり』
 女中のお峰が主人公。周囲を含めた貧乏ぐらしぶりを華麗なほどの美文で綴る才能に魂消てしまう。「つごもり=月籠り」で陰暦では毎月末が月の隠れるサイクル。12月だからとくに「大つごもり」(でも文中には「大晦日」が出てくるだけ)そのお峰は大好きな伯母一家が病人と幼い子を抱えて暮らしに困り、何とか2円を用立ててくれと頼まれる。窮したお峰は奉公先の金を盗んでしまうが、驚きの結末が待っていた……(珍しい笑顔の一葉は、森永タミーさんの作品らしい)
●3)岡本かの子『家霊』
 舞台は老舗の「どじょう屋」。押し迫った暮近い日、店を閉めようとする時分に老人の客、彫金師・徳永だ。ツケが溜まっているのに毎晩来てご飯付の泥鰌汁をせがむ。「死ぬにしてもこんな霜枯れた夜は嫌です。今夜、一夜は、あの小魚のいのちをぽちりぽちりわしの骨の髄に噛み込んで生き伸びたい――」とのたまう。ここがひどく印象に残る(モデルはたぶん「駒形屋」。どじょうの丸鍋の方ではない)

 てなことで今日で仕事納め。何とか年の瀬を越せそうだ。「年越し蕎麦」が楽しみだな。

今年の「冬至」はとくにうれしい

 先月の末頃から「日の入りが早いなぁ」と感じだして日々気持ちまで沈みがちだった。それも今日の「冬至」を境に逆転する(実際の日の出、日の入り時間はずれるけど)。「一陽来復」。二十四節季の中でも一番好きだ。
 この「冬至」を境に新しい年、新しい春を待つ祝い気分は時代も国境も越えるもの。とくに欧州では古俗とキリスト信仰が混淆され冬至祭の祝日がキリスト生誕日、クリスマスだと流布される始末(4世紀)。イギリスではケルト人のドルイド教信者はストーンヘンジに集まってお祭りをする。北欧には「ユール」祭があった。チョコケーキ「ブッシュドノエル」は「クリスマスの薪木」だ。また節季ものの本場中国では「冬至大如年(冬至春節のような大きな行事)」として、「家家戸戸吃水餃(みんなで水餃子を食べる)」ことになっている。
 そしてわが日本。スーパー店頭には「んの付くもの食べましょう」とのPOP。「ナンキン(南瓜かぼちゃ)」を筆頭にずらりと並ぶ。わが家では、茨木のK君ちからもらった直径3㎝ほどの小さな柚子が2個残っていたので、ままごとみたいな「ユズ湯」に入り、出てからは白菜鍋と水餃子をゆずポン酢でいただいた。(余談。白菜の「ゴマ豆乳鍋つゆ」も、ゆずポン酢もともにミツカン製だった。ドタバタお家騒動には興味ないし、製品は別物。でもどことなくザワザワした味がしたのは気のせい、だよね)
 「長くて暗くて、身体的にもシンドイ時期を越えた。ちょうど鉛空で吹雪く越後からトンネルを抜けて関東平野に出たような気分になれた。ま、本当の厳冬はこれからだし春にはまだ遠いが希望は持てる。今年の「冬至」は特にそう感じた。齢なんだねぇ(笑)

「MOMOKA」の”お接待マンガ”

 YouTubeで贔屓している「MOMOKA JAPAN」(フォロワー数80万人)が、ついにマンガ本になったので早速購入(講談社。ネットの現代ジャーナル系でプロモがすごい)。でも舞い上がってアナログ本で買ってしまった(本は増やさないと決め、つい昨日、多和田葉子のはKindle版で買ったのに(泣)。
 MOMOKAは京都出身の20代。自宅にはウィペット2頭がいる。6年前、日大生の頃にフリーハグの動画を公開したのが最初かな。以後、海外に行って日本のお菓子を食べさせたり、訪日外国人にパンや菓子を食べさせて印象を聴く路線に。そして今は「あらぁ~」で挨拶して、割烹や居酒屋などへ連れて行って普通の観光客なら食べられないようなメニューを、的確に説明して楽しんでもらうパターンに定着した(累計600本)。似たようなYouTuberはたくさんいるが、これとダイスケの「日本食冒険記」だけが安心して愉しめる。料理をちゃんと理解し説明も旨く接待に人柄がにじみ出ているからだ。英語の勉強にもなる。出世魚ブリはイナダもハマチもワラサもYellowtailだし、ウニはUrchin(アーチン)、カツオはBonitoてな具合。梅酒、イブリガッコやゴボウの素揚げ、銀杏、白子、ブリカマの塩焼きそして必殺の和牛。これらに触れて、皆、驚き感動する。.
 思うに外人にはビルの上階や地下にある店に入るのはハードルが高いのだ。そこでホテル、コンビニ、チェーン店、ストリートフードなどで「日本食を知った気になる」しかない。ビーガンに精進料理の店をすすめる人も少ない。日本食をラーメン、鮨、カレー、カツ丼しか知らずに帰る人も多いだろう。写真は1年前に動画に出て再来日、マンガにも登場して驚くオーストラリアの夫婦。
 マンガの評価はしないが、MOMOKAの番組は良い!店側に勉強になるし、こういう「和食お接待」のプロを目指す若い人も増えるのではないか?色んなサブ効果を生みそうな気がする。

日本人が泣く特選場面2つ

 

 あと1日で赤穂浪士討ち入りの日。自称「忠臣蔵語り部の今日の噺は大いに泣ける話ですぞ!
●その1 南部坂雪の別れ
 大石内蔵助が14日の午後に訪ねたのは浅野内匠頭の妻阿久里が落飾して瑤泉院として暮らす南部坂の屋敷。阿久里は吉良を討つ話を聞きたいのだが、大石は話を逸らすばかり。それどころか「さる藩への就職話」をする。帰り際に「東国に旅したのでその歌日記です」と巻物を置いて辞去する。阿久里は怒りかつ失望する…大石もすべて打ち明け、主君の位牌に報告したかった。だが吉良方の間諜がどこかで見ていると考え、雪が積り出した南部坂を黙って下った…大石が案じた通り、瑤泉院のもとには下女に扮した間諜がおり、置き土産の巻物を見ようとした。それを見つけた側近の戸田局(小野寺十内の妹)が直ちに成敗。瑤泉院が巻物を見るとそれは討ち入り覚悟の連判状。「そうであったか、内蔵助赦してたもれ」と号泣する。
 女講談師神田紅は、手拭い一本を巻物に見立て、連判状の47士を滔々と読み上げる。拍手喝采だ。
●その2 赤垣源蔵徳利の別れ
  赤垣(赤埴)源蔵は、やはり14日の午後、兄に暇乞いに芝新銭座へ出かけたが留守。兄嫁がいるが酒飲みの源蔵を嫌って出て来ない。待てど帰らぬ兄の代わりに羽織をもってこさせ、衣紋架けの羽織相手に持ってきた酒(矢野の諸白)を呑み、両親の思い出話や就職が決まったので今宵でお別れです、と帰って行く。遅くなって帰ってきた兄は、その話を聴いて「いや、侍の魂を忘れるような者ではない」とかばう。翌朝、討ち入りの噂が広まり、浪士一行の中に源蔵もいた。兄は、夕べ源蔵が残していった徳利を飲み干して泣いた。
 大昔の映画で勝新太郎演じた源蔵が良かった!(春日太一が推す1958年版大映映画)