h.Tsuchiya

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ソラマメにホイコーローが負けた?

 今日は日曜で休み。気分ものんびりできたのでちゃんと夕飯を作る気になり、ホイコーローを作った。そしたらそこに「ピンポーン♪」と大家さんが来て、採り立てのソラマメをくださった。大きなサイズの立派なものを約3kgも。毎年のことながら旬のものをいただけるのはありがたい。
 ソラマメは足が速いから放置できない。パックに入れて3分2を即冷凍、残りのカラを向いて刻みを入れて塩ゆで。アツアツの奴をほうばると風味が口中に広がってウマいウマい!止まらない。
 結局、これでかなり腹が膨れてしまって、ホイコーローと黒米ごはんは手つかずのまま冷蔵庫行き。ソラマメに負けた……たくさんのソラマメを、これからしばらくどう楽しもうかと考える。豆ごはんや干しエビとの天ぷら、ニンニク効かせた鶏肉炒め、冷製スープ……。ウ~ン、作っているヒマがたりないなぁ。
 実は大家さんからは半月前にもいただいたものがある。彼は猟をするので鹿やイノシシを獲り、精肉のプロに処理を頼むらしい。いただいたのは鹿のロース肉とイノシシのチョリソー。これらのジビエ肉をどう楽しんだかの話は……またの機会までおあずけ(笑)。

サービス業なら「巧言」者たれ?

 「巧言令色、仁すくなし」という言葉があり、「上手いおべんちゃらを言う人や容色を立派に見せる人は、『仁(他人への思いやり)』が足りない」の意味になる。キャバレーで鼻毛を読まれない用心としては大事だね。だが、「巧言」を「言葉使いが巧みである」という意味にとればどうだろう? 相手の気持ちと状況に合わせてタイムリーな言葉がかけられることはすばらしいじゃないか? 自分などは北国人らしく瞬発的な「返し」が下手くそで、モゴモゴ濁すか的外れな駄弁を重ねることが多い。人間相手の接客・サービス業なら「巧言」は必須の才能かもしれない。
 警備業も産業分類上はサービス業であり人間相手の商売だ。先日はこの「巧言」を考える現場だった。図に描いたように歩道上に工事車両を止め、車道に仮設の歩道を設けて歩行者や自転車を通す仕組みを作る。警備員3名で、あなたが警備③だとしよう。
 左右両方向から来る歩行者に対していったいどんな風に声を掛けたらいいのだろう?「どうぞこちらへ」と手差しするだけや、「足元ご注意(Watch your step!)」だけもありだが、こちらの都合で車道を歩かせているのに、あまりに味気ないし上から目線だ。お手本には「ご迷惑おかけします。お足元にご注意ください」などとあるが、歩行速度から考えて2秒以内でないと人は行き過ぎてしまう。簡潔に安全への思いを伝えねば……
 警備③のポジションは微妙な位置にある。仮設歩道の右3分の1あたりに片寄っている。右へ行く人と左へ行く人とで、かける言葉の内容AとBを変えたい。警備①や②も普通に声掛けしているからそれらと被らせたくない(うるさいだけ)……ここがサービス業として、「巧言」者としての工夫のしどころだ。
 自分の答え。長いこと仮設を歩いた人向けのAには「ご協力ありがとうございます」(協働作業風になる)。またこれから歩き出す人向けのBには「ご不便おかけします。すみません」(共感)とした。これをベースに「おはようございます(朝9時まで)」とか、「夕方までに終わります」などのバリーエーションを用意し、ベビーカーや高齢者のふらつく自転車を手助けもして、なんとかこちらの「思い(=仁)」を伝えようとした……てなてな調子で工夫してみると、仕事も愉しくなるから不思議。やりすぎぬよう、「合法的≧合理的≧合意的」に。あ、「巧言~」の反義語は「剛毅朴訥、仁に近し」だってさ。

「かもめ食堂」なぜ今も人気

 今日、電車の中で「かもめ食堂」のコットン地トートバッグを肩にかけた人を見た。小太りのかもめをあしらったデザインで、ボクはすぐにそれとわかったし、30代後半か40代の地味目のその女性を「あ、いかにも……っぽい」と思った。「っぽい」という独断的分類を述べると、映画版の『かもめ食堂』のファンである。決して”若すぎない”年頃で、北欧モノとくにマリメッコイッタラの食器などが好き。一人旅行も食べ歩きも好き。昔の『やっぱり猫が好き』もよく観ていた人、てな属性が見えるのだ。ボクも好きな映画だけど。
 『かもめ食堂』は、フィンランドヘルシンキにて日本女性(小林聡美)が経営する和食とコーヒーを出す店が舞台。そこに片桐はいりもたいまさこという芸達者に加えて、フィンランド人の脇役3人も絡む。とくにどうというドラマはないし人物の突っ込んだ説明もないが話はシュールに進む。ユーモラスな女性ものの達者な書き手・群ようこの原作本が具象画だとすると荻上直子監督の映画は抽象画。しいて盛り上がるのは「日本の普通の家庭の味」にこだわっておにぎりを出すくだりぐらい。そのツッコミ過ぎず説明しすぎないゆったり・ふわふわ感が「猫が好き」に通じると思う(室井滋は出ないけど)。荻上は小林・もたいコンビで『めがね』も監督した。
 映画はもちろんフィクションなんだが、モデルの店がフィンランドへ旅する日本人が押し掛ける聖地になってしまい、2015年に「Ravintola KAMOME」として居酒屋風に生まれ変わった。もちろん小太りかもめのデザインもひきついで。カップなどの通販グッズも売れていて、冒頭のトートは通販限定で3100円らしい。先日、小田急デパートのムーミンキャラ中心の北欧雑貨展も賑わっていた。ネットではイッタラのヴィンテージ食器の販売サイトがたくさんある。この映画と北欧の不思議な魅力については全然分析できていないけど、「小太りかもめ」ひとつ欲しいな……

笑わんで欲しい。ビール再挑戦記

 昨日は横浜の「みなと祭」に仕事で行ってきた。好天かつ3年ぶり開催とあって街は賑わっていた。GW後半の今日もネット上には全国行楽地のライブ映像がネットに上がり、上高地なども大変な人出だった。晴れてるのに家に居るのが少し落ち着かない。
 遅い昼飯に何か作ろう! まずは 焼き塩サバの残骸処分を兼ねてジャガイモとセブンの枝豆をバターで炒める。もう一品はマカロニのオーロラソース和え……「どう見てもオカズというよりツマミだな」と思ったのがコトの始まりだった。冷蔵庫の隅に昔から転がっていたスーパードライのミニ缶(135ml)を思い出し、チャレンジすることにした。病後の自分とアルコールの関係をテストしてみたくなったのだ(エラそうに言うけど(笑))
 いくらミニ缶でもドキドキだった。思えば2年前の正月、イオさんと後楽園スパに行ってコップ1杯のビールを呑んだら、軽く貧血を起こしてソファーで休む醜態だった。その1年後に胸部大動脈瘤肥大で入院したのだから予兆は1年前からあったことになる。いやいや、元来、酒には強くなかったけどね。以来、一滴も呑んだことがなかった。
 さて、ミニ缶ゴクリ。炭酸がしみるがこれには馴れた。(10分後)顔がほてり出す。(20分後)動悸が少し強まる。(30分後)頭が少しボーッとするが、スナックだったらここらで一曲始める元気も感じる。(40分後)目のふちやオデコの赤味が消えないが、酔いが峠を越えた感じがする。(60分後)まだほてりは少し残るが、醒めたぁ~、で体験終了!ミニ缶程度の酒量で「ビール再挑戦したどぉ~」はおこがましいが、体にパニックが起きないことを確認。まずは良かった良かった。
 つい昨日まで、もう2度と酒を呑むことはない。付き合いの機会があってもノンアルにしようと思っていた。が、その気持ちが怪しくなってきた。ビール中瓶とか焼酎やハイボールなら1時間くらいかけたら副作用なく呑めるかもしれん、と思い始めている自分が怖い! 気持ちよく酔える時って良いもんだからね。

「丁寧な暮らし」をする女性たち

 絵本作家で園芸家でもあるターシャ・テューダさん(1915-2008)という米国女性を回顧するドキュメントがYouTubeに流れていた(写真は彼女の著書『何があっても前を向いて』角川書店)。92歳の生涯を「夢に向かって自信を持って努力すれば成功できる」というヘンリー・ソロー(『森の生活』著者)の言葉を指針に生きられた幸福な人。家族や花、愛犬への愛情があふれる人柄に感じた。
 齢を重ねた人の顔は人種・性別の差がなく同じように見えるものだが、テューダの顔は107歳で亡くなった書家で抽象画家でもあった篠田桃紅さん(1913-2021)によく似ている。最晩年まで毎朝墨を摺ることから一日を始める暮らしを続けた。作品はシャープ、簡潔である。(作品と人の画像は岐阜現代美術館のサイトがおすすめ)
 またテューダの花作りの情熱と丁寧な暮らしぶりは、京都・大原でハーブ栽培をしていたベニシア・スミスさんの生き方に重なった。(写真はDVD本『猫のしっぽカエルの手』世界文化社)。TVシリーズで彼女の地に足がついた「スローライフ」に憧れた人は沢山いると思うが、心配なのは彼女が難病で視力を落とし、昨年夏、介護施設に入られたことだ(クリスマスには家族と自宅で過ごされたようだ)。
 今回、こんな記事を書いたのは、YouTubeに「丁寧な暮らし」を標榜する似たようなサイトが増え、中に「ン?……」と思うことが多くなったからだ。上に書いたような「達人」たちから感じるものとは違う。漫画に『丁寧な暮らしをする餓鬼』(塵芥居士、KADOKAWA)があって、その惹句に「コーヒー豆を半日かけてすり鉢ですったり、ビニール袋を三角形に畳んだり、茶殻を撒いて掃き掃除をしたりと、丁寧に生活を送っています」とあるのが笑えた……いやいや、他人様の生き方に口は出すまい。ワシも「丁寧に暮らしたい」のである(笑)

人の評価も「晴れたり降ったり」

「雨予報なので休工」になりうれしい反面、予報が度外れして晴れたので、逆に稼げぬ悲しい気分にもなった。ともあれ時間はあるので、ウクライナ話から先送りしてきた「ナイチンゲール」のことを書きあげようとした。
 彼女はクリミア戦争の戦場で献身的に働いた「白衣の天使」というだけではなく、傷病者の多くが感染症で亡くなる因果を、レーダーチャートやグラフを駆使する統計学的手法で明らかにした。他にも医療衛生改革、専門教育による看護婦とその管理者の育成、ナースコールやナースステーション、リフトなどを備えた病院の設計にも多大な実績を積んだ。没後110年以上経つが、近代医療と看護術の偉人として尊敬を集めている……話はこんなWikiっぽい「偉人伝」で終わるはずだった。
 だが、友人保科さんがコートニー・パインというジャマイカ系ミュージシャンのことを教えてくれて、彼のWikiを見たら、「メアリ.J.シーコール」の像建立に尽力したとある。シーコールは、母がジャマイカ、父がスコッチの混血。母から学んだ薬草などを用いる民間療法の看護を身に着けた。そしてやはりクリミア戦争に看護師として従軍しようとしたが、ナイチンゲール率いる看護師集団への参加は拒否された。そのため自身で旅費を工面し戦場に行き、ナイチンゲールより前線に宿泊施設も作って敵味方関係なく看護した。その功績も時間とともに忘れられていたのだが、人種や性別への差別を見直す潮流の中で再評価されるようになった人だ。
 ナイチンゲールとシーコールが対立した形跡はない。ただ、ナイチンゲールゆかりのロンドンの病院にシーコールの像が建てられたことで、戸惑いを隠せぬ人は日本にもいる……人の評価も「晴れたり降ったり」だから難しい。
 自分は入院中、本当に看護師さんたちのお世話になった。また姪っ子を含め知人にも看護師さんが多く、心から「偉いなぁ」と思っている。心を向けるべきはその点だけで良いだろう。

夢話のBGMは誰の曲がいいかな?

 夢を記憶しているとしたらそれは明け方のrem睡眠下での夢だろう。夢の8割は現実体験の記憶らしいが、自分は現実離れした不思議な夢(『奇夢』と命名)が結構多い。それも「もっとディープに、もっと不思議に」と意図的に誘導し、何とか起きてからも記憶に残るようにと操作している自分に気づいているのだ。これは入院中に何の刺激もないICUのベッドで体得?した「夢の見方」だ。茫漠とした空間に瞬間フワッと何かのイメージが浮かぶ。ちょうど『ディケンズの夢』(by Robert W.Buss)の絵画みたいで、自分ではそのコラージュ間の繋がりがわかっているらしい。「死ぬ時に見るのはこんな光景かも……」と思った。
 昨夜(今朝?)のは、映像もBGMもなしで誰かがしきりと話しかける。「小さなトウキを続けなさい。ただし分を守って」と……?意味不明。トウキは「投機」のことかと思ったが、資金力ゼロの自分には無縁すぎる。どうも実存主義でいう「投企」(Projection)らしいと気づいた。ワォ~めっちゃ死語じゃん。「苦境にめげるな」の鼓舞かなぁ……。
 仕事が休みなので「実存主義」から調べ直そうとしたらマルクス・ガルブレイズという1980年生まれのドイツ人哲学者がやたら出てきてこの2年くらい出版社やNHKがもてはやしていた。直感的に「バチモンくさい」と思ったが、そこから哲学や思想を語る色んな人や著作のサイトをめぐってみた。だが、昼にサンドイッチ食ったらきれいに忘れた。夢の「お告げ」?もどうでもよくなった。ガラじゃないのだ。
 でも入院中に見た『奇夢』はほんとに面白かった。それを小説にしようと企んでいるのだが、まだ先が見えない。時期がきたらプロットくらいは明かすからね(笑)